「愛」とは無双PS原理では、陰陽(他者と自己)の均衡を意味する:シュタイナーの「キリスト」である | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

「愛」とは無双PS原理では、陰陽(他者と自己)の均衡を意味する:シュタイナーの「キリスト」である

ここに一つのメッセージを持ってきました。それは、あなたたちの一人ひとりが新しい世界が 生まれるための助産師であるというものです。「どうして?」「私たちに何ができるの?」とあなたたちは言います。私たちはこのメッセージを何百年も語り続 けています。そしてきょうもまた同じメッセージをもってここに来ました。

 

自分自身を愛しなさい、自分自 身の内面を見なさい、自分自身を癒しなさい。あなたが自分が何者であるかを発見したなら、あなたの意識の振動数は高くなります。そして、あなたが自分の個 人的な振動数を高めれば、あなたは全体の振動数を高めることになります。そして、この全体の中には、母なる地球、愛する女神ガイアも含まれるのです。

 

臨界点を超えるときは近付いています。けれども、もしあなたたちが世界の数々の問題に注意を集中させなければならないと考えているなら、それはあなたたちのするべきことではありません。この言葉をきいて、皆さんの中の一部の人たちが震え上がり、このメッセージの信ぴょう性を疑うことになるのは分かっています。けれども、もしあなたたちが自分の住んでいる世界と自分が持っている力のことを本当に理解しているなら、これが真実であることが分かるはずです。

 

あなたたちの目に見えている世界は真実の世界ではありません。それはまぼろしです。このことを早く理解してください。これを学ぶための時間は、もうそれほど多くは残されていません。あなたが見ている世界はあなた自身の心の投影です。あなたの持っている思考というのは、あなたが世界の中に見ていることそのものなのです。

 

あなたが持っている力はあなたの心の中にあります。あ なたたちが戦っている戦争は、物理的なものではありません。それは物資の取り合いでもなく、地面の上にある何かでもありません。その戦争はあなたの心の中 にあるのです。あなたの心が戦場であり、あなたの感情が弾薬なのです! これを理解してください。これは局面を愛と光のほうに一変させるとても重要なメッ セージなのです。


あなたたちは、恐怖という名の心の爆弾となってあなたの上に落ちてくる思考やイメージによっ て、心のレベルで攻撃されています。あなたの思考と感情が非常に危険なのです。あなた自身の思考と感情があなたを破壊する爆弾となっているのです。あなた たちの世界は新しく生まれ変わるでしょう。彼女(地球)は高次意識の平面にあなたたちのための世界を用意します。けれども、あなたが自分であなたの思考と感情の波動を高めて、彼女の世界にはいって行かない限り、あなたはここにとどまったままです。

 

これは、あなたたちを怖がらせるために言っているのではありません。あなたたちが戦う相手はブリティッシュ石油会社ではないということを知ってもらいたいのです。あなたたちはメキシコ湾を救うために戦うのではないのです。そこはあなたの注意を向けるべきところではありません。それはあなたたちの注意をそらすための小道具なのです。あなたの注意は常にあなたのハートに向けられていなければなりません。あなたの力はハートにあるのです。あなたが使う弾薬はなのです。

 

あなたの聖なる土地はあなた自身の心の中にあります。あなたはあなたの心を、いたるところから飛んでくる思考やイメージから守らなければなりません。私た ちはあなたを助けるためにここにいます。けれども、あなたが何をなすべきかを知るためには、あなたは何のために戦うのか、あなたの「弾薬」は何なのか、と いうことを知らなければなりません。あなたは考える自由、あなたの心をあなたの思い通りに使う自由のために戦っているのです。そして、あなたが使う武器 は、敵よりもはるかに高い波動のエネルギー「」なのです。

 

あなたが見ている世界はあなたの心と集合意識の反射に過ぎないのですから、あなたに見える世界を変えるためには、あなたの心を変えなければなりません。そのためには、あなたは、あなたの神我でありハートであるハイアーセルフの意図に一致しないことについては、自分の力を使ってすべてノーと言わなければなりません。あなたは人から言われる通りにする必要はないのです。

 

あなたはあなたが思っている以上に力を持っています。けれども、あなたが物事を決めるときにいくらかでも神の意図を実現しようと努力するまでは、その力に気づかないでしょう。もしハートや魂のレベルでよくない感じがするなら、それをしないようにしなさい。これが最初です。あなたは選ぶことができるということを理解しなければなりません。あなたは自分の思い通りの世界を体験する力を持っているのです。あなたたちはみんな、自分たちには何の力もないと考えるように洗脳されてしまったのです。あなたはあらゆる力を持っています!

 

このメッセージは私たちが以前持ってきたものとは違っています。私たちはメッセージの強さを上げたのです。それは、敵側の強さが上がっているのに対抗する ためです。究極の真実の世界には、「敵側というものはない」というのは本当です。なぜなら、統合意識の状態にはいかなる二元性(敵味方というような対立関 係)も存在しないからです。けれども、あなたたちが二元性の幻影を卒業するまでは、私たちはあなたたちのレベルで話をします。心の中に善と悪が存在するあ なたたちの3D現実においては、あなたたちの心と感情と生命力を支配しようと躍起になっている勢力が存在しています。そして、この二元性を信じ込んでいる 人たちは、彼らの支配力の前にとても危うい状態にあるのです。この無意識の支配力というのは愛の欠如です。そして、それは大衆の心から提供されるネガティ ブな感情によって、燃料補給されています。あなたたちは彼らを恐れることによって絶えず彼らに燃料を供給しているのだということを知ってください。これら の人々が力を持っているのは、あなたたちが彼らに力を与えたからであり、また、それ以来、ここから逃れる道はないと決めてしまっているからなのです

『文殊菩薩(ブログ版)』


参考:
  • 老子の言葉 第二十九章 補稿
  • 「人間とは、自分が天下を取ったと思った瞬間から、次の崩壊が始まっているのでしょう。」

    「人間は、中間・中立の状態が大切なのは間違いではないが、自分は天下を取ったと「区切り」を意識したり、
    中間で居ようなどと思った瞬間から、既にそうでは無いのです。

    自然な流れの最中に、自然に中間で居ることが大切なのです。
    人間は、何かの最中に居続ける限り、成長をします。」

  • かたよらない自然な中間が大切
  • 原文
    「將欲取天下而爲之、吾見其不得已。天下神器、不可爲也、不可執也。
    爲者敗之、執者失之。凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。
    是以聖人去甚、去奢、去泰。」

    (感想)
    人間とは、自分が天下を取ったと思った瞬間から、次の崩壊が始まっているのでしょう
    過去の歴史を見ましても言えることであり、国や企業や個人の栄枯盛衰を見ましてもしかりです。
    しかし、これを避ける、良い状態を継続させる方法が、ただ1つだけ存在します。

    古代ギリシャの哲学者アリストテレスの場合は、人間の行為や感情を調整する美徳として、メソテース(中間にあること)を言いました。
    人間は、「中間であること」を意識することが、自分自身を最善に誘導するという考え方です。

    フランスの科学者・思想家であるパスカルも、人間は「中間を意識すること」が最善な存在だと示唆しています。
    心と肉体を持つ人間というモノを分析し尽くした結果、人間はすべての意味において、「中間という状態」が最善であり最も安定的だとしました。

    さらに古くは、釈尊がズバリと「中道」(ちゅうどう)、つまりどんな物事にも偏らない・執着しないことを歩む生活が、悟りに至る人間の必須条件だとしました。
    日本の神道でも「中今」(なかいま)と言い、今のこの瞬間・瞬間こそが過去・未来を集約した中心点であり、すべてが集約している「最中」だとしました。これにも生活の中の「中間」を意識することが含まれています。

    儒教では、孔子の孫である子思(しし)が「中庸」(ちゅうよう)として、「過不足なく偏りのない徳」を意識して生活することを言いました。
    このように、古代から世界中の色んな賢者・聖人が、「何事にもほどほどの中間」を意識することの大切さを示唆しています。

    しかし、この章で老子は、もっと大きな自由な「中間」を言っています。
    「中間を意識する縛りも不要だ。そんなことを一々考えて生活することも愚かな中間だ。
    それよりも物事を支配しようとするな。何かを持とうと悩むな。
    幸福も不幸も、その来る自然な“流れ”を楽しめ。
    そう成れるためには、
    やりすぎる事を避け、おごり慢心することを捨て去り、何事にもなまけることをしないことだ」
    このように老子の気持ちを感じます。

    つまり人間は、中間・中立の状態が大切なのは間違いではないが、自分は天下を取ったと「区切り」を意識したり、中間で居ようなどと思った瞬間から、既にそうでは無いのです。
    自然な流れの最中に、自然に中間で居ることが大切なのです。
    人間は、何かの最中に居続ける限り、成長をします。

    かつて日本は、総中流家庭だと国民が思えた国です。
    大半の家庭が、普通の生活は出来ていると思えたのです。
    これこそは今の地球世界を見ましても、東方に出現した歴史的にも奇跡の国家だったのかも知れません。
    金の有無だけでは無く、思想的にも権利としても人間の身分としても、国民が総「中流」だと思えたことは、本当に有り難いことなのです。
    このような日本が継続することを希望します。


    伊勢ー白山 道