内在的普遍了解と無双PS原理の内在的超越性は内在性では似るが異なるだろう | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

内在的普遍了解と無双PS原理の内在的超越性は内在性では似るが異なるだろう


タケセン

わたしは、一神教的「超越」に基づかない主体性の獲得を考えています。それ が、キリスト以前の釈迦の原思想の中にあり、それとソクラテスの問答的思考法との共通性を取り出すことで、現代に求められる超越項なしの内在的普遍性(普 遍妥当性を導く思考法)への道を拓こうと考えています。2012年9月11日 00:15

タケセン

それが、21世紀が求める主体性獲得の方法ではないかと。 また「イデア論」は、みなに誤解されているように思えます。プラトンが「物語」として説明したために、超越的と受け取られてしまいますが、ほんとうは「普 遍了解性」の獲得(問答的対話による絶対ではない妥当性という意味での普遍性)だというのがわたしの読み。2012年9月11日 00:18

ふーれん

> タケセンさん 『一神教的「超越」に基づかない主体性の獲得』素晴らしいお考えだと思います。2012年9月11日 01:31

タケセン

ありがとうございます。今までの人類の思考と生き方を変えるー文明転換が必要 で、それには、日々の自らの生き方がキーとなると思います。「私」の自我ではなく存在の声を聴く営みが基盤。外・外面=「超越」ではなく、「私」の内・内 発に立脚する「普遍了解性」の獲得=豊かなエロースの営みです。一神教的な思考法(超越項を置く)を超える生。2012年9月11日 10:49


思索の日記