自己に拠る他者との連続性の力学はいかに:自己同一性が差異共振像に上書きし、連続性が形成される
不連続的差異論における重要な概念である、連続性ないしは連続的同一性であるが、直観では理解しているが、力学的には解明されていないので、検討したい。
陽・凸i・自己が陰・凹i・他者と連続する、しかも、後者を否定するように自己同一性によって他者と連続するということである。
そこにおいて、MPが抑圧・排除されているのである。MP(Media Point:下図「ガウス平面」の原点)が抑圧・排除されるという力学は、端的に、MPが否定されるということではないだろうか。つまり、他者を否定する以前に、MPを否定しているのではないだろうか。
というか、MPを否定することが、同時に、他者の否定となるということではないだろうか。
ここで、父権神話の母なる怪物退治を想起するのである。バビロニア神話では、マルドゥク が母なる怪物ティアマト を退治し、その心臓を太陽に捧げたのではなかっただろうか(記憶が曖昧である)。
この母なる怪物がMPではないだろうか。そう、ギルガメシュ叙事詩 では、森の怪物フンババを退治したが、それが、MPではないだろうか。
とまれ、MPの共振はなくなり、思うに、直に、自己が他者を同一性化、つまり、連続化したということではないだろうか。
では、MPの破壊とはどういう力学なのだろうか。それは、陽・凸i・自己の自己反射ということでいいのではないだろうか。即ち、凸iの自乗化ではないだろうか。凸i^2=-1である。
あるいは、他者否定ということで、凸i*-凹i⇒-1でいいのではないだろうか。
結局、連続性とは、陰陽差異共振の否定であり、MPの喪失(自己自乗)、ないしは、他者の否定であると言えるのではないだろうか。
より明確に言えば、身体を形成する差異共振において存する他者を否定する自己同一性が他者との同一性的連続性を形成するということではないだろうか。
とりあえず、今はここで留める。
追記:以上の説明では、当然、問題点がクリアに解明されていない。MPの否定、抑圧、排除、そして、隠蔽の力学が明確になっていないからである。
そう、最後に述べた隠蔽という視点はより明晰なものだろう。自己同一性による他者の否定も一種、隠蔽であるが。それは、自己同一性に拠る他者の差異の隠蔽ということである。
丁寧に考えよう。初めに、陰陽差異共振がMPで形成される。もっとも、陰と陽、そして、陰陽差異共振はほぼ同時形成であろう。つまり、MPが起点となり、陰陽極性と陰陽差異共振性が動じ生起するということになる。
人間の意識の発達において、陽・凸i・自己が陰・凹i・他者に対して、優位傾斜する。
この傾斜が父権神話に象徴的に表現されていると考えられる。
精緻に見よう。
先に、ナルシシズム(自己愛)について述べたとき、MPにおいて、(陰陽)差異共振像が形成されると述べた(ナルシシズム(自己愛)の無双PS原理からの分析:差異共振鏡への自己同一性の投影としての視線 (8/7)http://protophilosophy.noblog.net/blog/f/11367426.html)。
差異共振像とは、陰陽共振に拠るのであるから、二面性、両面性をもっていると考えられる。即ち、陽からの映像と陰からの映像である。しかも、両者は同一である。ただし、視点が異なるということであるが。
そして、ここに、陽・凸・自己の傾斜力学がはたらくとき、この差異共振像が否定されて、自己同一性像によって覆われると考えられる。自己同一性による差異共振像の否定とは、隠蔽ということであり、いわば、差異共振像に自己同一性像を貼り付ける、あるいは、上書きするというようなものではないだろうか。
この隠蔽=貼り付け=上書きによって、差異共振像(父権神話の母なる怪物)は否定、抑圧、隠蔽、排除されるということになるだろう。
バビロニア神話において、マルドゥクが太陽に差し出した心臓とは、差異共振像の核であるMP、当然、否定されたそれを意味すると思われる。
そして、その太陽であるが、それは、太極がMPにおいて発現するような元太陽(「天照大御神」)、内在的な太陽ではなく、外在的な太陽であろう。この外在的、もしくは、父権的太陽の位置づけがよくわからないのであるが、それは、-1か、下図の第二象限に帰属するのではないだろうか。
しかしながら、空間形式を陰に見ているので、第四象限に属するということも考えられるのである。どうも、空間形式、時間形式の布置はまだ問題がある。
とまれ、私が言いたいのは、マルドゥクにおける太陽は外在的太陽であり、もはや、母権的な内的太陽ではないということである。
最後の問題は次の検討問題にして、とりあえず、MPや差異共振を否定する自己同一性のもつ連続性の意味がより明確になったと言えよう。
簡単にまとめると、優位に傾斜した自己同一性による差異共振像への上書きが、自己同一性のもつ連続性、ないしは、連続的同一性であるということである。
しかしながら、この自己同一性によるMPの否定とは、消滅ではなく、あくまで、隠蔽である。無意識化である。自己同一性の意識化は第二象限に属するのではないだろうか。そして、「ガウス平面」の右半面が無意識化されているのではないのか。
ついでながら、第三象限とは何であろうか。それは、自己同一性的感情、欲望の領域ではないだろうか。つまり、否定的な感情・欲望領域ではないだろうか。第 四象限は、感情・欲望があっても、あくまで、差異共振的感情・欲望ではないだろうか。つまり、例えば、食という行為であるが、それは、他者(動物、植物) の犠牲という意味合いがあり、それは儀礼的になるのではないだろうか。例えば、アイヌの熊祭りのようなものではないだろうか。そう、死者の埋葬という行為 もここに拠るのではないだろうか。
参考:
<無双PS原理三次元世界:Ver4.0>
虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
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超越軸z軸:太極・霊界 /
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-1__←重力波__MP_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我 / | 天・個
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陰・凹i・空間形式 |
・他者 |
陽・凸i・自己が陰・凹i・他者と連続する、しかも、後者を否定するように自己同一性によって他者と連続するということである。
そこにおいて、MPが抑圧・排除されているのである。MP(Media Point:下図「ガウス平面」の原点)が抑圧・排除されるという力学は、端的に、MPが否定されるということではないだろうか。つまり、他者を否定する以前に、MPを否定しているのではないだろうか。
というか、MPを否定することが、同時に、他者の否定となるということではないだろうか。
ここで、父権神話の母なる怪物退治を想起するのである。バビロニア神話では、マルドゥク が母なる怪物ティアマト を退治し、その心臓を太陽に捧げたのではなかっただろうか(記憶が曖昧である)。
この母なる怪物がMPではないだろうか。そう、ギルガメシュ叙事詩 では、森の怪物フンババを退治したが、それが、MPではないだろうか。
とまれ、MPの共振はなくなり、思うに、直に、自己が他者を同一性化、つまり、連続化したということではないだろうか。
では、MPの破壊とはどういう力学なのだろうか。それは、陽・凸i・自己の自己反射ということでいいのではないだろうか。即ち、凸iの自乗化ではないだろうか。凸i^2=-1である。
あるいは、他者否定ということで、凸i*-凹i⇒-1でいいのではないだろうか。
結局、連続性とは、陰陽差異共振の否定であり、MPの喪失(自己自乗)、ないしは、他者の否定であると言えるのではないだろうか。
より明確に言えば、身体を形成する差異共振において存する他者を否定する自己同一性が他者との同一性的連続性を形成するということではないだろうか。
とりあえず、今はここで留める。
追記:以上の説明では、当然、問題点がクリアに解明されていない。MPの否定、抑圧、排除、そして、隠蔽の力学が明確になっていないからである。
そう、最後に述べた隠蔽という視点はより明晰なものだろう。自己同一性による他者の否定も一種、隠蔽であるが。それは、自己同一性に拠る他者の差異の隠蔽ということである。
丁寧に考えよう。初めに、陰陽差異共振がMPで形成される。もっとも、陰と陽、そして、陰陽差異共振はほぼ同時形成であろう。つまり、MPが起点となり、陰陽極性と陰陽差異共振性が動じ生起するということになる。
人間の意識の発達において、陽・凸i・自己が陰・凹i・他者に対して、優位傾斜する。
この傾斜が父権神話に象徴的に表現されていると考えられる。
精緻に見よう。
先に、ナルシシズム(自己愛)について述べたとき、MPにおいて、(陰陽)差異共振像が形成されると述べた(ナルシシズム(自己愛)の無双PS原理からの分析:差異共振鏡への自己同一性の投影としての視線 (8/7)http://protophilosophy.noblog.net/blog/f/11367426.html)。
差異共振像とは、陰陽共振に拠るのであるから、二面性、両面性をもっていると考えられる。即ち、陽からの映像と陰からの映像である。しかも、両者は同一である。ただし、視点が異なるということであるが。
そして、ここに、陽・凸・自己の傾斜力学がはたらくとき、この差異共振像が否定されて、自己同一性像によって覆われると考えられる。自己同一性による差異共振像の否定とは、隠蔽ということであり、いわば、差異共振像に自己同一性像を貼り付ける、あるいは、上書きするというようなものではないだろうか。
この隠蔽=貼り付け=上書きによって、差異共振像(父権神話の母なる怪物)は否定、抑圧、隠蔽、排除されるということになるだろう。
バビロニア神話において、マルドゥクが太陽に差し出した心臓とは、差異共振像の核であるMP、当然、否定されたそれを意味すると思われる。
そして、その太陽であるが、それは、太極がMPにおいて発現するような元太陽(「天照大御神」)、内在的な太陽ではなく、外在的な太陽であろう。この外在的、もしくは、父権的太陽の位置づけがよくわからないのであるが、それは、-1か、下図の第二象限に帰属するのではないだろうか。
しかしながら、空間形式を陰に見ているので、第四象限に属するということも考えられるのである。どうも、空間形式、時間形式の布置はまだ問題がある。
とまれ、私が言いたいのは、マルドゥクにおける太陽は外在的太陽であり、もはや、母権的な内的太陽ではないということである。
最後の問題は次の検討問題にして、とりあえず、MPや差異共振を否定する自己同一性のもつ連続性の意味がより明確になったと言えよう。
簡単にまとめると、優位に傾斜した自己同一性による差異共振像への上書きが、自己同一性のもつ連続性、ないしは、連続的同一性であるということである。
しかしながら、この自己同一性によるMPの否定とは、消滅ではなく、あくまで、隠蔽である。無意識化である。自己同一性の意識化は第二象限に属するのではないだろうか。そして、「ガウス平面」の右半面が無意識化されているのではないのか。
ついでながら、第三象限とは何であろうか。それは、自己同一性的感情、欲望の領域ではないだろうか。つまり、否定的な感情・欲望領域ではないだろうか。第 四象限は、感情・欲望があっても、あくまで、差異共振的感情・欲望ではないだろうか。つまり、例えば、食という行為であるが、それは、他者(動物、植物) の犠牲という意味合いがあり、それは儀礼的になるのではないだろうか。例えば、アイヌの熊祭りのようなものではないだろうか。そう、死者の埋葬という行為 もここに拠るのではないだろうか。
参考:
<無双PS原理三次元世界:Ver4.0>
虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
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超越軸z軸:太極・霊界 /
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-1__←重力波__MP_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我 / | 天・個
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陰・凹i・空間形式 |
・他者 |