経験主義的「資本主義」批判は限界がある:「資本主義」のもつ一種の形而上学性を認識することが必要だ | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

経験主義的「資本主義」批判は限界がある:「資本主義」のもつ一種の形而上学性を認識することが必要だ

以下の記事は明敏である。しかし、経験主義の立場からの批判である。
 資本主義は、マルクスが『資本論』で述べたように、形而上学をもっているのである。(マルクスは貨幣の形而上学について言及しているのであるが。)
 無双PS原理から言えば、自己同一性主義が資本主義と結びついているのである。自己同一性主義とは簡単に言えば、利己主義である。だから、自我の利益のために、他者は犠牲になってもかまわないという態度が資本主義にはあるのである。
 シュタイナー的に言えば、悪魔ルシファーと悪魔アーリマンの結合した悪霊性を資本主義はもっているのである。
 結局、経済に「キリスト」をもたらす必要があるのである。経済の「キリスト」は何であろうか。
 それは、自己と他者との均衡主義のことである。陽・凸i・自己と陰・凹i・他者との均衡性のことである。
 このためには、他者と能動的に共振するシステムが必要である。
 有り体に言えば、他者肯定の経済である。資本主義は他者否定の利己主義経済である。
 余裕のあるとき、詳述したい。

追記:資本主義の形而上学とは、カント哲学でいう超越論性のことと考えられる。宗教の超越性ではなく、認識における超越論性である。この超越論性が貨幣・資本の同一性を規定しているのである。
 これは、一種、資本主義の構造主義性と言えよう。この点を、独りファシズム氏は探究しているのである。
 しかしながら、これは、自己同一性によって規定されているのであり、太極・原気・MP(陰陽均衡点)・胸が開化されると、自己同一性は、崩壊するのである。
 デリダの脱構築主義やドゥルーズの差異哲学とは、この自己同一性の解体を目指すものではあったが、両者とも太極・原気・MP・胸に到達できなかったと考えられる。

追記2:無双PS原理「逆」ガウス平面において、超越論性とは、以前述べたように、虚軸、つまり、陰・凹i・頭と陽・凸i・肚に存すると思われる。
 これが、いわば、構造主義性である。
 しかしながら、「逆」ガウス平面に直交する超越軸、超越界があるのである。それが、神霊界である。理性とは、思うに、ここに本来属すのではないだろうか。
 カントの純粋理性批判であるが、それは太極・原気・MPにおける超越軸と虚軸との交叉の様態を分析しているのではないだろうか。
 カントは超越論性を基軸にしているので、超越性を純粋に肯定することができないと思われる。
 そう、先に述べたように、超越界が虚軸に交わるのであるが、それは、わずか線分に過ぎない。超越界は、超越円や超越軸に関係すると考えられる。

追記3:シュタイナーの経済論では、分業が実は利他主義であると述べている。そう、以前何度も述べたように、資本主義は二重性があるのである。生産的には、差異共振的であるが、融資においては、同一性主義なのである。言い換えると、実体的資本主義と金融資本主義の乖離があるのである。そう、以前、差異共振資本主義と同一性資本主義に分けたと思う。
 今日、後者が前者を支配しているのである。超資本主義は、前者が後者を支配するものと思われる。
 

2012/07/29 : 政治・権力・陰謀 : 人類が生きていけないくらいに地球環境が壊れても、お金の値打ちがあると思う?  

Dendrodium  [2012/07/28 14:18]

王子製紙の排水計画に抗議デモ=数千人集結、一部暴徒化も-中国江蘇省

 
 【南通(中国江蘇省)時事】王子製紙が中国江蘇省南通市に建設した工場の排水計画をめぐり、環境汚染を懸念する地元住民が28日、大規模な抗議デモを展開、一部が暴徒化する騒ぎがあった。
  地元当局は26日夜、計画を一時中断し住民と話し合う方針を発表したものの、排出口を設置予定の同市啓東政府庁舎前には28日午前6時半(日本時間同7時 半)ごろから数千人の市民が集結。「王子を打倒しろ」「ふるさとを守れ」などとシュプレヒコールを上げ、大通りを行進した。
 同8時(同9時)、 暴徒化した一部の若者が庁舎内に侵入。窓から大量の書類をばらまき、取り囲んだ市民から歓声が上がった。また、警察車両など車18台が破壊された。地元の 化学工業団地に勤める男性(32)は「ここの発がん率は中国で一番高い。沖で取れた魚も売れなくなった。これ以上の汚染はごめんだ」と話した。
 現場には武装警察を含め大量の警察官が投入され、市民との小競り合いも起きた。
 こうした事態を受けて地元政府関係者は午前11時(同正午)すぎ、庁舎前で群衆に対し、地元政府が排水計画の撤回を決定したと発表。デモを中止するよう訴えた。
  同計画は、工場のある南通開発区から黄海に面する啓東までの約110キロを結ぶパイプラインを通じ海に排水するというもので、王子製紙によると、パイプラ インの建設は市当局が約束。2010年末の工場稼働前に完成する予定がずれ込み、第1期製紙プラント(年産能力40万トン)の廃水は現在、浄化処理した上 で長江に放流している。(2012/07/28-13:05)



ロンドンオリンピックの開会式は27日夕(日本時間28日午前5時)華やかにとり行われた。
今朝のテレビはロンドンオリンピックの開会式の報道で持ちきりであった。
日本のサッカーは開会式を前に男女とも勝ったので、オリンピックの話題はいやが上にも盛り上がる。
その同じ頃(2時間後)中国江蘇省では、王子製紙の排水計画に反対して、数千人規模の抗議デモがあったそうである。
この計画は、工場のある南通開発区から黄海に面する啓東までの約110キロを結ぶパイプラインを通じ海に排水するというもので、王子製紙によると、パイプラインの建設は市当局が約束したものだそうであるが、
計画が予定通り進まない為に、第1期製紙プラント(年産能力40万トン)の廃水は現在、浄化処理した上で長江に放流しているそうである。
排水の浄化処理はその気になれば出来るものを、経済性優先とかいう理由で、排水処理をせずに海に流す計画をしていたのだろう。

どこの国でも綺麗な環境や住民の生活を守る事よりも、企業の利益を優先させているようである。

ほんの一例だけれど、最近「マスコミに載らない海外記事」で取り上げられたペルーの場合、環境破壊に対する住民の抗議デモに、官憲が発砲し死者が5人出たところで政府は戒厳令を敷いたそうである。



ア メリカ企業ニューモント・マイニング社が所有している、既に南米最大の金鉱の拡張に抗議する為、何千人もの人々が集まっているカハルマカの山岳地帯で、最 近、ペルー政府は非常事態を宣言した。抗議行動参加者に対し、実弾を使用して、警察は今週だけで五人を殺害した。ペルーのテレビで全国放映された劇的なビ デオの中で、集会の自由を制限する緊急措置にもかかわらず、抗議行動参加者を激励した、元ローマカトリックの司祭マルコ・アラナを警官は激しく殴打してい る。最近カハルマカに行っていた、ジャーナリストのビル・ワインバーグと話をする。"会社、ヤナコチャが鉱山の拡張を提案する度に、現地住民は団結し、道 路を封鎖し、業務を停止しました" とワインバーグは語っている。(以下略)



会社は湖を巨大な採鉱場 と鉱山廃棄物のごみ捨て場にしようとしており。地域の水源は既に消失し始めている。主に採掘作業の為に、流域の山々を破壊し、巨大採鉱場に変えてしまって いる、という様な酷い国土の荒廃を齎す行為を、国民の命がけの反対を無視して、その国の政府が許しているのである。

日本の場合も同様で、東電福島原発事故で大勢の被災者を出したばかりだと言うのに、国民の反対を押し切って原発を事故がなかったときと同じように稼動し続けようと、政府は暗躍を続けている。
毎 週金曜日首相官邸前に1万人を超える抗議の人々が参集していても、視聴者のお金で運営している視聴者の為のテレビという触れ込みのNHKでさえ、外国メ ディア(フランスのルモンド)からの抗議を受けるまで、首相官邸前金曜デモの事を、国民に報道していなかった(隠していた)のだから、驚くべき背信的報道 姿勢である。
民放もスポンサーの意に沿った報道しかしないから、経済優先の原発推進がごり押しされようとしている。

今や世界中の民主主義を標榜する国々で似たような事が起きているらしい。
現在日本政府が入ろうとしているTPPでは、国内の法律がTPP参加国の業者の商売の邪魔をした場合は、
各国内の法律よりも業者の利益を優先するというISD条項があるから、
不幸にしてTPPに加入させられたら、ますます国民の生活無視の傾向は加速される事だろう。

各種業者が、この地球を汚し放題にしてしまおうとしているようである。
それらの業者の目的は只一つ、利潤(儲け)追求である。
儲けたお金に税金を掛けられたくない輩が、タックスヘブンと呼ばれる所得税のかからない所に蓄えたお金が2500兆ドル(約19京6000兆円)に上るそうである。

お金とは一体なんだろう?
お金は物々交換の代わりに、交換の手段として考え出されたたものだと、昔学校で習ったが・・・・・
地球環境が破壊されて、人間が住めなくなったら、取り代える物がなくなってしまい、お金の値打ちは無になってしまうのではないだろうか?
お金が金属や宝石と取り替えることが出来ても、金属や宝石は食べる事が出来ない。
衣食住の材料ががそろっている時、金や宝石も価値があるのであって、食べるものや着るものがなくなってしまったら、お金と同様に無価値となってしまうものではないだろうか?
(平家が滅んだきっかけは、その頃起きた大飢饉で、いくら銭を積んでも米を買えなくなり、民心を掴まえている事が出来なくなったためだと、書いたものを読んだが・・・・・)
要するに金銀財宝は、食べる事が出来ないない物なのである。
人間が健康に生きることが出来る食べ物を作る事が出来なくなって、地球に人類が生息できなくなったら、いくら財宝を蓄えていても、タックスヘブンはヘブンではなくなってしまうのである。

企業家が環境を荒らすような荒業でぼろ儲けを企み、儲けたお金を死蔵させるから、健全な仕事がなくなり、貧窮者が溢れるのではないだろうか?
一方では働く意欲も力もある者が、仕事がないばかりに貧窮に喘いでいるというのに、一方では天文学的な金額のお金が死蔵されてる。
企業家が地球環境を無視したぼろ儲けを企まず、又儲けを独り占めせずに、皆と分かち合っていたら(応分の税金を払っていたら)、
結局儲けたお金も値打ちを失う事なく、必要なくらいの額を蓄える事が出来るというのに!
現在の世界は総て負のスパイラルの中にある。

王子製紙も汚染水の浄化処理をして、現地の人に迷惑をかけずに、企業活動をする事を選ぶべき時ではないだろうか?
王子製紙には大勢の人々に迷惑をかけてぼろ儲けしたお金を、ギャンブルで蕩尽したり、タックスヘブンに死蔵したりする事にならないよう、生きたお金の使い方(排水の浄化)を選択してほしいものである。

『文殊菩薩(ブログ版)』