陰・凹iと陽・凸iの本性について:光ー太陽ー闇、自己ー太極ー他者 | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

陰・凹iと陽・凸iの本性について:光ー太陽ー闇、自己ー太極ー他者

 無双PS原理「逆」ガウス平面

陰極・凹i(-i)・光子:「天」:頭(悟性)・他者:空間形式(外在)
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  Ⅱ物質科学      |    Ⅰ気的身体
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-1____太極・原気・MP・胸・母権____+1
無気物質          |               有気物質
「自我」           |               「個」
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  Ⅲ欲望/感情    |     Ⅳ精神
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陽極・凸i(i)・重力子:「地」:肚・自己:時間形式(内在):父権


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 無双PS原理の一番の問題点をここで検討しよう。
 私は桜沢如一氏の無双原理に従って、それまで、ガウス平面上において、凸i(i)=陽=光=自我、凹i(-i)=陰=闇=他者としてきたのを否定して、上図のようにガウス平面の上下を転倒させ、又、凹i(-i)=陰=重力子=自己、凸i(i)=陽=光子=他者とした。
 この変換の一番の問題は、陰・闇・肚を自己、陽・光・頭を他者とすることにある。
 常識的には、頭は自己となるのが、普通であると考えられるのであり、このような布置はパラドクシカルである。
 桜沢氏は、陰が上昇するもので、発散的であり、陽は下降し、集中的なものであると述べているのであり、それに即すと、前者は自我ではなく他者、後者は他者ではなく、自己とするのが妥当と考えて、布置を逆転させたのである。
 問題は、光の意味である。通常、光と太陽を一致させるが、私はそうは考えない。太陽は太極・MPの原点に置くのが妥当のように思われる。太陽からの光があり、また、太陽の内部・コアがある。太陽からの光は発散するものであり、これは、桜沢氏の視点と一致するのである。発散する光は軽いものであり、それ は、知性と通じるとした方がいいだろう。クールということである。それは、陽ではなく、陰・凹iが相応しいだろう。
 それに対して、太陽の内部・コアであるが、それは、重力的に集中されるものであり、凝集であり、下降する重いものであり、また、発熱するもの、エネルギー、パワーのあるものと考えられる。それは、ホットであるから、陽・凸iが妥当のように思えるのである。また、それは、自我ないしは自己に相応しいだろう。
 そう、陽・凸iを自我にするのか、自己にするのかは、以前検討したが、繰り返すと、人間は自己傾斜しているので、自己は連続性、ないしは、連続的同一性へと必然的に向かい、自我となるのである。 
 ではあるが、純粋に見れば、陽・凸iは自己とするのが適切であると考えられるのである。
 結局、これまでの無双PS原理「逆」ガウス平面の再確認をしたことになった。
 さて、最後に、自己傾斜=自我化、連続化=連続的同一性化の精神的意義について考えたい。
 ルドルフ・シュタイナーが、悪魔論で、アーリマンとルシファーの二種類の悪魔を述べているが、自己傾斜・連続化とは、確かに、悪魔的に考えられるが、それは、どちらに当たるのだろうか。
 アーリマンとは物質主義の悪魔であり、ルシファーは利己主義の悪魔であると簡単に言えるのではないだろうか。
 それを考えると、自己傾斜とはルシファーであり、連続的同一性がアーリマンということになるのではないだろうか。
 私は自己傾斜=連続的同一性として捉えているが、そうではなく、両者をシュタイナーのように、別々に捉えた方が明晰になるだろう。
 即ち、自己傾斜とは悪魔ルシファーの作用であり、連続的同一性化とは悪魔アーリマンの作用であるということである。

追記:シュタイナーの悪魔論では、ルシファーは、神秘的、夢幻的なものでもある。陽・凸iを肚とすると、それは、よく理解されると思う。確かに、かつて、私は、肚に神秘的なコスモスを感じたものである。だから、ルシファーは、陽・凸i・肚に定置するのがいいのである。
 また、アーリマンであるが、それは、固定化、硬化させるものである。私は、ルシファーの連続性と結びついた同一性と見ているが、どこに定置させたらいいのだろうか。
 自己傾斜のもつ同一性志向が他者の差異を否定するときに、同一性自体=自我が形成される。それは、-1である。
 しかし、私の考えでは、自己傾斜が基本にあり、それが、ルシファーであり、同時に、アーリマンであるということなってしまい、シュタイナーの考えには、合わないことになる。このいわば齟齬をどう解決するのか。
 私は自己傾斜は同一性志向であると考えているが、自己、即ち、陽・凸i・肚が同一性志向とはどういうことなのか。それは、求心的な同一性志向ということである。一(いつ)への志向である。唯一神的志向である。
 これが、他者、陰・凹i・頭に衝突すると、それを否定して、自我が形成されるのである。
 問題は、求心的同一性の意味である。それは、いわば、観念的同一性、抽象的同一性であり、物の同一性ではないだろうか。つまり、言語的同一性ではないだろう。
 求心的同一性が言語的同一性と結びつくとき、真の同一性が形成されると言えよう。
 言語的同一性とは悟性である。つまり、自己同一性が悟性と結合したときが、真正の同一性が形成されるのである。
 悟性の位置は陰・凹i・頭であると考えられる。だから、真正の同一性とはやはり、陽・凸i・肚と陰・凹i・頭の同一化に存すると考えられるのである。
 以上のように考えると、アーリマンとは、陰・凹i・頭の悟性に関係すると考えられる。そう、植物、動物には、悟性はないだろう。人間だけに存するのである。
 すると、結局、アーリマンとは陰・凹i・頭における悟性を意味すると思われるのである。そして、これが、唯物論を促進するということである。
 これでとりあえず、解明できた。つまり、ルシファーは陽・凸i・肚の自己傾斜、自己同一性志向であり、神秘的コスモス志向をもつのであり、アーリマンは陰・凹i・頭における悟性であるということである。
 シュタイナーはルシファーとアーリマンの間にキリストを置き、両者の均衡を説いたのである。シュタイナーのキリストは、無双PS原理から言えば、端的に、太極・原気・MP(陰陽均衡点)・胸である。

追記2:陰・凹i・空間形式は外在であり、陽・凸i・時間形式は内在であると考えられるので、無双PS原理「逆」ガウス平面に加えた。
 また、陰・凹i・頭に悟性を加えた。


参照:

悪魔論に進む

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