発音と精神・感性・音楽:純粋音声と精神的音声 | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

発音と精神・感性・音楽:純粋音声と精神的音声

持論では日本人は視覚は優れているが、聴覚は劣っているということである。
 どうも、これは日本語の特質に拠るように一面では思える。つまり、ずっと昔考えたことであるが、日本語の音声は純粋音声ではなく、意味(観念)を伴ってしまうという特徴がある。例えば、「え」と言ったとき、「絵」になってしまうのである。(追記:角田氏の日本人脳論があった。とまれ、これは、日本語に限られたことでなく、中国語であるだろう。)
 英語では、例えば、[i]という発音自体には、意味(観念)はない。純粋音声(造語)ないし音韻である(音声と音韻の区別がやっかいであるが、今は触れない)。
 結局、英語は純粋音声が組み合わさり、単語を作る。例えば、[i]と[t]でitとなる。
 純粋音声(純粋音)が言語音声を形成しているということになる。そして、それに意味(観念)が入り、意味のある単語となる。
 ところで、以上のことは昔考えたことで、今感じているのは、音声には、精神的感情が入るということである。
 端的に言えば、心情が音声に入るということである。無双PS原理から言うと、太極・MP・胸における霊愛的感情に関係するということである。あるいは、音楽に関係するということである。
 英語の場合、それがよくわかる。しかし、日本語の話者の場合、とりわけ、東京人やその近郊、そして、大都市の人間の場合、日本語音声に心情性が貧弱ないしは欠落していると感じられるのである。
 結局、自我主義、利己主義、物質主義に染まって、精神性を疎かにしたということを意味しよう。
 結局、発音の問題は、文化・社会の問題であるということである。英語の発音を日本人が苦手とするのは、文化・社会の問題があるということになる。
 そう、まとめると、日本語の純粋音声の欠落と霊愛的感情の貧弱さ、この二点が本質的に、日本人に英語を苦手とさせているように思える。
 
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32800