D. H. ロレンス哲学の絶対的矛盾について:凸iと凹iの衝突と揺らぎ
D. H. ロレンスは実に稀有な文学者である。作家と哲学者が並存しているのである。(三島由紀夫もその面があるが。)
明らかに、彼の哲学は絶対的矛盾を呈している。例を挙げれば、融合・一(いつ)の志向性と個・多の志向性があるからである。
そして、この極性哲学がロレンス哲学である。
しかしながら、中期以降、この極性哲学が破綻して、二項対立に傾斜するのである。言い換えると、極端に父権主義化するのである。
これをどう見るか。ロレンスの精神は凸iと凹iの衝突、激突の戦場である。しかし、ロレンスは鈴木大拙の即非の理論を知らなかったために、常時、激しく揺れ動いていたのである。不思議の国のアリスのように、大きくなったり、小さくなったりしたのである。
中期以降、ロレンスは精神の危機に陥った。極性バランスが崩れて、凹iでありつつ、凸iであろうとしたのである。差異でありつつ、同一性であろうとしたのである。即非の論理を知っていたなら、同一性であろうとはしなかったであろう。
言い換えると、ロレンスは母権的でありつつ、父権主義化したのである。人間認識図で言えば、第三象限でありつつ、同時に、第二象限であろうとしたのである。
そのため、ロレンスの作品は過度に混沌化したのである。それはリーダーシップ小説と呼ばれるものに、現れている。
ロレンスの精神は凹iが天才的であり、第三象限に根ざしていた。しかし、凸iと凹iが不連続化していなかったため、あるいは、即非の論理を知らなかったために、時代の暗黒化等に触発されて、精神の混沌、混乱を起こしたのである。
以上で、ざっとであるが、長年の謎の解明ができた。