孫正義 :その1
孫正義
そん まさよし
孫 正義 |
|
---|---|
生誕 | 1957年
8月11日
(53歳) 日本 ・佐賀県 鳥栖市 |
職業 | 実業家 |
純資産 | 約6,800億円(2011年度時点) |
孫 正義(そん まさよし、1957年 8月11日 O型 - )は、日本 の実業家 。
ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンク 株式会社代表取締役 社長 、ソフトバンクテレコム 株式会社代表取締役社長、ソフトバンクモバイル 株式会社代表執行役 社長兼CEO 、福岡ソフトバンクホークス のオーナーなどを務める。アジアングルーヴ株式会社代表取締役社長の孫泰蔵 は実弟。
創業したソフトバンク 株式会社の株式21.19%を保有する筆頭株主(2011年 (平成 23年)現在)で、日本有数の資産家 。フォーブス の調査による世界長者番付 の2011年版で日本人 1位、81億ドル(1$=83円)(約6,723億円)と記されているが、高額納税者番付ではまだ同位を獲得していない。
略歴 [編集 ]
- 1957年 8月11日 - 在日韓国人 実業家、孫(安本)三憲の二男として佐賀県 鳥栖市 に生れる。母は李氏。男ばかりの4人兄弟であった。
- 緑ヶ丘・第二幼稚園を卒園。
- 北九州市立引野小学校を卒業。
- 北九州市立引野中学校を途中で転校。
- 福岡市立城南中学校 に転入。
- 1973年 - 久留米大学附設高等学校 に入学(同い年でラ・サール高等学校 の岩屋毅 と友人に)。 司馬遼太郎 の『竜馬がゆく 』を読み、脱藩 に憧れて渡米決意。 夏休みを利用して米国 カリフォルニア州 にて語学研修のため4週間の短期留学。
- 1974年 - 久留米大学附設高等学校 を中退し、渡米(2月)。米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校(ELS)に入学。米国セラモンテ高等学校(サンフランシスコ )の2年生に編入(9月)。3年生、4年生へと飛び級。高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。
- 1975年 - 米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。
- 1977年 - カリフォルニア大学バークレー校 経済学部 の3年生に編入。
- 1979年 - シャープ に自動翻訳機を売込んで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア 開発会社の「Unison World 」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入。結婚。
- 1980年 - カリフォルニア大学バークレー校 を卒業。学位 は、経済学士(カリフォルニア大学) 。日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市 南区 に事務所を構える。
- 1981年 - 福岡市博多区 に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド 」を設立。福岡県 大野城市 に「日本ソフトバンク 」を設立。
- 1983年 - 慢性肝炎 で入院。社長職を退き会長となる。
- 1986年 - 社長職に復帰。
- 1990年 9月4日 - 日本に帰化 [1] 。
- 1994年 - ソフトバンク 株式会社の株式 を店頭公開。
- 1996年 - 米ヤフー とソフトバンク の合弁でヤフー株式会社 を設立。オーストラリア のメディア王ルパート・マードック のニューズ・コーポレーション と折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日 の株式の21%を取得。後に朝日新聞 の反発に遭って撤退。
- 1999年 - 証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケット とソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社 を設立。
- 2000年 - 大阪証券取引所 とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン 市場を開始。
- 2000年 - ソフトバンク株式会社が東京海上保険 、オリックス と供に、日本債権信用銀行 (現あおぞら銀行 )の株式を取得。取締役に就任。
- 2001年 - ヤフー株式会社 と共同でADSL 接続サービスのYahoo! BB の提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。
- 2002年 - ナスダック・ジャパン株式会社業務停止。(大阪証券取引所がヘラクレス とし市場維持)
- 2003年 - あおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント 社(Cerberus NCB Acquisition,LP.)に売却。
- 2004年 - 日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム 株式会社)を買収し、同社代表取締役 会長 に就任(2006年(平成年)10月に同社代表取締役 社長 に就任。)。
- 2006年 - ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル 株式会社)を買収し、同社代表執行役 社長 兼CEO に就任。
- 2011年 - 東日本大震災の義援金として個人で100億円及び2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明。
系譜 [編集 ]
- 孫氏(安本氏)
朝鮮民族 固有の孫氏[2] [3] とは異なり、約1000年前に中国南朝の宋 から戦乱を避け高麗へ帰化 した一族の末裔とのことである[4] 。1947年 に孫一族は南朝鮮から密航船で日本へ密入国し、正義の父である三憲によって、サラ金 、密造酒 、パチンコ を家業として財を築き[5] 、正義によってソフトバンクグループ が創業され、世界有数の財閥の地位が築かれている。
∴
鐘慶
┃
┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
三憲 某 某 某 女 女 女
┃
┣━━━┳━━━┳━━━┓
┃ ┃ ┃ ┃
正明 正義 正憲 泰蔵
ソフトバンクの創業 [編集 ]
自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[6] を当時シャープ 専務の佐々木正 に約1億円で売り込み、その資金を元に米国 で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人 から1億円の出資を受けて日本 で起業する[7] 。創業時に1億円を投じた在日韓国人の親戚が個人株主としては現在も最大の株主である[7] 。
電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR )をフォーバル の大久保秀夫 とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許 は孫が保有している)[8] 。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。
1994年(平成6年)7月 にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開した。
「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年(昭和56年)であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の 雑餉隈エピソード [編集 ]
少年時代のエピソード [編集 ]
- 大分県の朝鮮人部落で幼少期を過ごした。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と週刊ポスト のインタビューで述べるとともに、父親の三憲が密造酒 製造販売とサラ金 ・パチンコ 業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、外車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている[10] 。また、現在韓国で暮らしている父親の孫三憲も一時期、金融業や密造酒を家業としていたことを明らかにしている[5] 。孫家は父親の方針の元、将来は韓国大統領 を目指すよう教育されるなど非常に勉強熱心な家風であった[11] 。「足が汚水につかるような場所で苦学して」部落を出て成功した。現在はパチンコ店の経営から退いている三憲はパチンコは客が必ず負けるものであるので好きではないと佐野眞一に述べている。
学生時代のエピソード [編集 ]
- 小学生時代
- 父三憲は小学生の正義に対し「今度お父さんが出す新製品に、何か言いたい事はあるかな」と聞き、子ども扱いせずに関係者の一人として意見を聞いて いた。こうした体験が後に経営者としての手腕に繋がって行った。また「お前は在日韓国人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と語ってい た。
- 理想の起業家像
- 「最も好きな起業家 」は本田宗一郎 である[12] という。
- 藤田田を訪問
- 高校生時代、藤田田 に 会うために藤田の会社に行く。最初は門前払いを受けるが、何度も訪れて根負けした藤田についに社長室に通されたという。そこで「今度渡米するのだが、アメ リカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言された。その後成功した孫は藤田を食事に招待し、藤田はあの時尋ねてきた高校生が孫正義 だったかと驚き、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという[13] 。
- 人生の目標
- 19歳の時に、「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1,000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ。」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという。
- 大学の検定
- カリフォルニア州での大学の検定試験の際に、「この問題は日本語ならば必ず解ける。」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験 官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉して、「辞書の貸 出し」と「時間延長の要求」をのませたという逸話が残っている。
- さらに、州知事との交渉において知事は「厳密な終了時間」を決めておらず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論が出されたことから、無期限の時間延長と孫は独自解釈して、最後までテストを受けて合格したという。
- インベーダーゲーム
- 自動翻訳機の売込みで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。日本で、流行していた「スペースインベーダー 」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大もうけした。
成年後のエピソード [編集 ]
- 勝負するなら相手が大きい方がいい
- 孫がヤフーBBのブロードバンド ビジネスを始めるにあたり、取り巻きの太鼓持ちの人が驚いて「孫社長、本気であのNTT と戦おうというおつもりですか? こっちはどう見ても竹槍 程度の兵力です。竹槍部隊であの強大なNTTという軍艦 に立ち向っていくようなものですよ、それでも本気であなたは戦うおつもりですか?」と聞いたところ、孫はしたり顔で「男が勝負するんならNTTぐらいの大きさがちょうど良いんだよ、それ以下だったら弱いものイジメだよ」と答えて太鼓持ちを驚かせたという。
- 将来はヤフーを子会社化
- 孫は2005年に雑誌の取材で「近い将来アメリカのヤフー本社も買収して子会社化しようと思う」と話している。もっとも米国のYahoo!はかつてソフトバンクが筆頭株主だった[14] 。
- 噂にはコメントしない
- ソフトバンクの新機種発表会で、「iPhone 3G の発売はソフトバンクからか」と質問された時の発言。「iPhone 3GS」の発売前にも、同じコメントを残している。しかし2010年 7月19日 、Twitter で 「在日割引はデマか?」と質問された際にデマであると回答、「在日割引」の経緯について説明を投稿した。尚、「この割引プランは、弊社の代理店が民団と勝 手に取りまとめたもので、弊社サービスではありません」(ソフトバンクモバイル広報室)とされ、かつて実在した在日割引が代理店の独断であるというのが孫 の主張であった。
- 実際、在日割引の話が上がる前から代理店が類似のプランを設定し法人向けに営業を行っていた事はネット上でも取り沙汰されていた。
- 首相四年連続辞任時に「日本の不幸」
- 2010年、Twitterユーザーから首相辞任にコメントを求められた際に、「4人の首相[15] の任期が1年程度。民間会社ですら社長任期が1年では大きな事は成し得ない。日本の不幸」と述べた[16] 。
諧謔(ユーモア) [編集 ]
- 政府への犯行予告
- 2010年 5月18日 、ソフトバンクモバイル新機種発表会・記者会見 で記者から、Twitterがフィルタリング されていることについての質問を受けた孫はUstream で会見が全世界へ中継されている中、「Twitterをフィルタリングすることにより未成年からのアクセスを出来なくするのは、コミュニケーション革命や神への冒涜である。政府がそんなことをするのであれば、総務省 にガソリンを持って行って火をつける。これは犯罪予告 である」とジョークの発言した[17] [18] 。後に孫は「完全な冗談だった」と釈明と謝罪をしている[19] 。
慈善活動 [編集 ]
- 東日本大震災 復興資金の寄付
- 2011年 4月3日 、東日本大震災の被災者支援と復興資金として個人で100億円を寄付すると発表した[20] 。また、2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付するとも発表した[1] 。 ソフトバンクも企業として東関東大震災に対し10億円の寄付を決定している。孫は3月22日福島県の避難所を訪れ、被災者数万人への携帯電話の無償貸与に 加えて、震災孤児対象に18歳までの通信料の完全無料化を表明している。孫の拠出する100億円の寄付は個人として日本人において最高額である[21] 。