スピリチュアルと会社の美味しい関係 -6ページ目

スピリチュアルと会社の美味しい関係

スピリチュアルと会社経営の関係性を検証するブログ

紅白歌合戦を見ています。


さっきレディーガガの「Born This Way」をやっていて、日本語で歌詞を見ました。


!!!


レディーガガはスピリチュアリストだったのですね。


とても感動しました。


ゆずの歌も感動しました。


秋元康さんの歌詞にもそれを感じることがあります。


良い歌を聴いて良い年を迎えられそうです。


感謝

今日は12月28日。


今日で仕事納めの会社も多いためか昼間の都心部はいつもの平日とは少し違う雰囲気です。


「普段と違う」状況というのはウキウキしますね。


さて、このところ気分が落ち込み気味のことが多いのですが、今日は気分の大逆転がありました。


会社の人間関係的なことで、午前中とても嫌な気分でいたのですが、ふとしたことからそれが自分の思い込みだと気付いて、急に良い気分になったのです。


自分の悪い思い癖については、ここでは一旦置いておいて、それとは別に、良い気分と悪い気分というのはセットなんだと思いました。


気分が良くなった状況は普段当たり前にある状況であって、特別に喜ばしいことが起きた訳ではないのです。


ですが、その前にとても悪い気分になっていたことで、そこから脱した幸福感のようなものを味わったのです。


おしっこしたくてトイレに行くのを極限まで我慢して、やっと放出したときのあの感じ。いつもだらだら放出していたら決して気持ち良くはないと思います。出したい欲を我慢してようやく出せてこそ、あの気持ち良さを味わえるのです。


幸せってそういうことなのかな?と思いました。


悪いことがあるから相対的に良いことがある。


そのギャップが大きいほど快感も大きい。


これまで数年間で私の会社で起きている厳しい経営状況は、まさにおしっこを我慢している状態なのかもしれません。


経営悪化に伴っていろんな不安を感じたりするのは、漏らしてしまう不安を感じるのと同じような感じがします。


「何とかなる、絶対に漏らさない」と確信していれば、ギリギリ間に合って至福の感覚を味わえるものです。


今の会社の状況も「何とかなる、絶対倒産しない」と私が確信していれば、同じく危機を脱して至福の感覚を味わえるような気がしてきました。


極限までお腹が空いていれば何でも美味しいっていうのも同じですね。


でも、この気持ち良さと、いわゆる幸せっていう感覚は同じものなのでしょうか?


もしそうだとすると、幸せを感じるには悩み苦しみを味わう必要がある訳で、いつでもどこでも常に安心して満たされている幸福感っていうのはあり得ない?


そういえばある本に「ありがとうの反対語は当たり前」という言葉がありました。


親が世話を焼いてくれること、働く機会があること、食べられること、空気があること、生きていること


そういうことを当たり前と思わないで感謝しよう!という話だったと思います。


当たり前に思えることは、実はとても恵まれていることで自分は幸せなんだというふうに、その本を読んだ時には思いました。でもその感覚を維持するは結構難しいです。


当たり前を良しとせず、刺激を求めるのはエゴなのでしょうか。


たばこや酒はその道具?


スポーツや芸術は?


起業は?


そんなことを考えました。






今日はかなり悪い気分です。


なんというか、何もやる気がしなくて、自虐的で、居場所がなくて、いなくなってしまいたいような感じです。


思えばスピリチュアルに関心を持つ以前から、こういう日が年に数回あったような気が来ます。


そういえばサラリーマン時代にも陥ったことがあり、会社を休んで嫌な気持ちでぼーっとして過ごしました。妻に運転してもらってドライブに行ったり、平日の競馬場にいったりして気を紛らわせて過ごしたことを思い出します。


でも、その状態は大体いつも1日から3日くらいで回復しました。


なので今回もなるべく自分から騒がず、ぼーっと過ごせば平気なのだと思います。でも何とかすぐに好転させたくて、ソルフェジオ周波数を聴いたり本を読んだり、いろいろやってみたのですがダメでした。


これって避けて通れない周期的なものかな?


そう言えば斎藤一人さんのCDで、嫌な気分になったらもうすぐ良いことが起きるサインだといっていた気がします。そうだといいな~


悪い気分の記録でした。