http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%88



国際勝共連合こくさいしょうきょうれんごうInternational Federation for Victory Over Commuinism)は反共主義政治団体世界基督教統一神霊協会 (統一教会)の教祖、文鮮明1968年 1月13日韓国 で、同年4月、日本で創設した。日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己 。名誉会長は後に文鮮明の金銭への汚さに辟易し袂を別った笹川良一 であった。通称は「勝共連合」または「勝共」。機関紙 として『思想新聞』、月刊誌『世界思想』を発行。関連会社の「世界日報社」が日刊新聞、『世界日報 』を発行。

日本の国会にも多数の勝共推進議員を抱える等、政界にも影響力を持つ(#政界との協力関係 )。


国際勝共連合は統一教会の教祖・文鮮明が共産主義 思想の誤りを啓蒙し、代案を示し、その打倒を目指すために創設した団体。

国際勝共連合が創設された頃初期の1960年代 から1970年代 は東西冷戦 の真っ只中であった。アメリカ ではCIA が後ろ盾であったジエム大統領 を支援するためベトナム の内戦に介入したが、国民のベトナム戦争 に対する反戦運動が高まっていた。朝鮮半島では1968年 1月、北朝鮮 が武装ゲリラソウル に侵入させ、大統領官邸襲撃事件を引き起こしたり、アメリカの環境調査艦「プエブロ 」を拿捕するなど、軍事的に緊迫していた。日本でも安保闘争 を初めとして、非核三原則 を掲げながら格密約 を結んでいた岸信介など親米政治家にとって都合の悪い学生運動 が熱を帯び、大学紛争が多発していた。そのような情勢の中で、「勝共運動」は、韓国においては、「反共法」まで制定して共産主義に対抗していた朴正煕 政権の庇護を受けたと言われる[1] [2]

日本においては、戦後の日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけるアメリカの対日政策の転換もあり、岸信介笹川良一児玉誉士夫 らが勝共連合の設立に尽力したとされる。


国際勝共連合は、日本での結成に岸信介などが大きく関与したことから、自由民主党 の有力な支持団体の一つで、会員を国会議員 、公設私設の秘書 として送り込み、こうした支援する議員は、勝共推進議員 [4] と呼ばれている。特に、保革伯仲時代と言われた、1970年代 から1980年代 にかけて選挙応援を通じて保守層に喰い込み、勝共連合の動きが目立ったとされる。

例えば、岸の娘婿で、安倍晋三 の父でもある安倍晋太郎 も勝共推進議員名簿に名を連ね、教団も安倍晋太郎政権の実現のために積極的に動いた時期があり、安倍と統一教会は、その意味では“祖父の代から脈々と続く関係”と指摘する人間もいる[5]

1975年東京都知事 選挙では、朝鮮総聯 の影響下にある朝鮮大学校 を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉 の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる。

また、1986年 7月の衆参同日選挙 では、150人の衆参両院候補を応援、自民党 、よりタカ派民社党 (当時)などの134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光 (自民党スパイ防止法 制定特別委員長)、森清箕輪登 (当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[6]

1986年1990年1993年衆議院議員総選挙 で旧大阪3区から出馬(1990年 は自民党公認)し、落選した阿部令子 は、霊感商法霊能者 役であり合同結婚式 に参加した教会員で渡辺美智雄 元秘書だったとされている[7] 。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[8] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、候補者本人は「支援は受けているが会員ではない[9] と歯切れの悪い回答を残している。ちなみに、自民党追加公認となった1990年総選挙では次点、無所属での出馬となった1986年・1993年総選挙は最下位落選であった。