5:45分は無事だった。。前編 | 真夜中の深海Bar

5:45分は無事だった。。前編

私が地元の兵庫県より大阪に上阪して早くも14年が経つ。
最初に住んだのは東大阪の地下鉄長田駅付近だが、そのころまだ周りには畑や田んぼがあり大阪で言うとこの『田舎』であった。
それでも私の出身地からすれば毎日驚くほど都会。
自宅前の中央大通りには、昼夜問わず激流のように車が行き交っている。
そして、一歩街へ足を踏み入れれば人、人、人。
城下町である我が故郷で一番、人が溢れる『お城祭り』の人数を毎日ゆうに越えた人々がその街を闊歩している。
職を転々としながら住所も移り歩いた21歳。
その時私は東淀川区の上新庄にワンルームマンションを借りて住んでいた。
細長い建物だが、近代的で当時流行りのオートロックもついたいわゆる『ナウイ』マンション。
9月に就職も決まり、引っ越しの片付けもようやく終わりが見えかけた年末、そして年明け。
たしか1月16日は祝日で私の学生時代を謳歌した大好きな神戸のメリケンパークで夜中1時頃まで遊んでいた。
そのあと上新庄の家についたのは夜中3時頃だったはず。
ベッドに入り目をつぶってどれだけの時間が経過したんだろう。
スーパーウーハー1億個分、いやそれ以上の重低音が遠くから鳴り響き、ガラスカタカタ、フライパンコンコン、お皿ギシギシ…。ドンッ!
そこからは何が起こったのかわからない。
左右に1m以上振られるベッドにただ、しがみついてないと『死ぬ』と本能で思った。
ほんの数秒間だが、大量のアドレナリンを体内に分泌し、ありとあらゆる想定が頭の中を駆け巡った。
『たぶんトラックがマンションに突っ込んできたんや』
『地震やったら、震源地はここや』
『地下水を汲み上げすぎやねん』
など。
たぶん最後のはうそ。
引っ越しが終わったばかりの部屋は振り出しに…いや、マイナスになった。
トイレタンクの水が部屋に流れ出し、足を踏む場所もない。
フライパンも下に落ち、テレビやコンポはヒステリックな人の部屋(優しい表現)みたくなってしまった。
全部割れたお皿を片づけながら、こんなんなるんやったらストレス解消の為に、『ちくしょ~!ぶちょ~』とかいいながら外で割れば良かったと思った。
これもうそ。
やたら開閉が困難なドアを開けると、ワンフロア6戸しかないワンルームマンションに20人近く人がいる。
しかも、どう見ても日本語が通じそうにないタイプがわんさか。
まるで夜8時以降のスーパー玉出である。
停電の為、テレビからの情報もなくただ余震に震えながら
『一人ぼっちはいやだよ~』
と思いながらも
『でも、この階にはとりあえず20人おるし』
と自分を慰め通電を待った。
テレビがつき、神戸が大変な事になっているのを知ったのはお昼前だった。
その時、リーンリーンと電話が…。
『小島~電車通ってるで~はよ出社せいや~まさか、おまえ休む気やないやろなぁ~』
と、上司からの通達。
部屋をそのままに急いで阪急上新庄駅へ。
『地震の為、全線運休』
私はこの時ほど自転車を持っていたことを恨んだ事はない。
そして数十キロの会社までのサイクリングがはじまった。
後に上司に聞いたところ
『堺市はテレビの上の花瓶倒れただけやもん』とか
『西宮の人が普通に出社してたもん』とか
『地下鉄動いてたし、まさか阪急動いてないなんて思ってなかったもん』とか苦しい言い訳していた。
後編に続く。