先日購入した「中津市の中近世城館(各説・総括編)」(中津市教育委員会2022)を見て行く中で、令和3年に本格的に調査が成された「三保山城塞」を観てみたくなり、訪ねてみました。
土塁・石列が700m近く尾根上に続き、東の方では折れを多様した形になっているとの事。
まずは目指して登ります。
比高は100ちょっとなのですが、回っていく形にしました。(あとでログ載せます。正しいルートだったかは不明です…もっといい道があったかもしれませんが)
ひたすら藪をかぎわけながらも、どこかしら人が通ったような痕跡があるのでそれをたよりに東の尾根を目指します。
尾根に着くと、なんらか作業用の道の跡ぽいのに繋がります。そこを少しだけ南に行くと左右に分かれますので右(西方面)へ。

なにやらわさわさ石が見えてきました。

先日、八田城でみたような境界土塁?よりもほんの少し大きい土塁が見えてきました。

土塁沿いに石の列。わかりにくいですが奥の方で石の列が90°曲がって左に行っています。折れてます。

「中近世城館」ではⅠ郭と称される(おそらく主郭部)場所の真ん中あたりに旗竿石かもしれない、とされる石がありました。

真ん中下の穴は、矢穴…?ともいえない小ささ。水滴が穴をあけたというわけではないのでしょうか。よくわかりません。

土塁が切れていて、虎口?みたいなものなのでしょうか。
写真ではわかりにくいのですが、高さ30センチ~50センチくらいの土塁が明瞭に残っています。

土塁が左上のあたりで右に折れて、しばらく行ってまた左に折れてます。クランク状なのが何か所かあります。
