過日、直谷城(長崎)に行きました。
志佐氏の城で平安末期から江戸時代初期まで続いた城とされてます。
まず全体図の看板。
最初これを見たとき、
「いやいやいや気持ちはわかるけどこんな図大袈裟だっぺ!そんなわけねえべ!」
と思ってました。
しかし…
あながちそこまで間違ってない図でした(笑)

直谷城の歴史。
大手口は小学校側になります。
裏の搦手口は県道沿いにあり駐車場も広いです。ここから主郭は5分かからずいけます。
もし時間があれば、距離ありますが大手口から行かれてみてください。
大手口から登っていきます。
途中に空堀がいくつもあります。
四の土塁、三の土塁と土塁線を越えて、ついに一の土塁が見えた!
ここが思わず凄くて笑ってしまいました。
二の木戸のところを右に向くと、
手前の丘が武者溜まり、その上は主郭。
左を向くとこれまた狭まった谷の上から集中砲火。
もはや巨大枡形空間です。
もっともここを突破されて奥の高台から右に登ればすぐ主郭なので、ここの土塁に敵兵が殺到した時点でどんなに倒そうとも、
もはや城として落城寸前なのですが…(身もふたもない事言うな!)
ちなみに搦手口の途中の道もいくつも武者たまりがあります。
搦手武者たまりその2。
最後に主郭付近上空から撮ってみました。
手前の右側の地肌が少し見える空間が主郭、その左、ハの字になった谷が大手口から一の土塁に向かう谷です。
上の方の山脈を2つほどぬけると平戸の海です。
交易も大変盛んだった志佐氏。その様子がうかがえそうな巨大な山城でした。