先日、宮崎市佐土原町にあります佐土原城を撮影に行って参りました。

山の麓にある、鶴松館(かくしょうかん)が歴史資料館と兼ねていて、そこを訪ねました。

何が感動したかというと、職員の方々がついてくださって、あらゆる補足説明を語ってくださる、その量、濃さ。そして、館内無料!

そこまでしてくださっていいんですか!という素晴らしいものでした。

伊東四十八城の重要な拠点として佐土原城は存在しました。

伊東家、特に戦国時代の伊東家は京都がやったら好きみたいで、城下町にも「祇園町」とか京都に因んだ町名を多数つけていたようです。

最終的には耳川の戦い関連で伊東家は島津の猛攻に耐えられず、豊後まで撤退してしまい、島津家久の居城となります。島津4兄弟は最強とよく歴史の中で語られるかと思いますが、中でもこの島津家久が武、智、ともに長けていて、沖田畷の戦いで龍造寺をせん滅したりだとか突破口を開いたのは彼なんですよね。なので遠い本州の秀吉もバリバリ警戒していたわけで。「こいつまずくね?仲間になってほしいけど、仲間になってくれないなら・・」と、九州を平定した時も相当警戒していたようです。

結果なのかどうなのか、九州を平定してしばらくすると、家久は急死します。

病気だったのか、陰謀による謀殺なのか・・・謎です。

でもって城主は息子の豊久になるのですが彼もまたすばらしい優秀な武将で。

関ケ原の敵陣突破を成し遂げたのも彼がいてこそでした(関ケ原で戦死)。

関ケ原の島津軍も大半は佐土原からの軍勢だったとの事で、佐土原城の存在はもっと評価されていいのではないかとも思いました。

ちなみに天守台は標高100mほどの山で通常であれば30分くらいで登れるのですが2018年の台風24号の被害が甚大で、ルートというルートが崖崩れで登れないとの事。職員の方も昨年10月以降登ってないそうです(市から通行禁止命令がでているとのこと)。

「復旧には10年かかるかもしれないんですよ・・」と職員の方が語ってありました。

ドローンで今回撮りましたけれども、できることなら山頂は登りたい!

復旧を願ってやまないです。

 

今回の宮崎弾丸撮影の旅で「綾城」「都於郡城」を他に撮って参りました。

また別の機会に・・・