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カメラセ・リーグ優勝を果たし、チャンピオンフラッグを持ってグラウンドを1周する中日の与那嶺要監督(手前右端=1974年10月12日、中日球場)。



与那嶺要氏が2011年2月28日、米ハワイ州で死去した。
85歳だった

〔記事は以上です。Source by 時事通信 3/1 21:27〕



 プロ野球の巨人で首位打者を3回獲得するなど活躍し、中日監督としても巨人の10連覇を阻んでリーグ優勝を果たした与那嶺要(よなみね・かなめ=本名ウォレス・カナメ・ヨナミネ)氏が2月28日(日本時間1日)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルルのシニアホームで死去した。85歳だった。葬儀は今週末にホノルルで行われる予定で、後日、東京でお別れの会を開く予定。喪主は長男、ポール氏。

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日系人で初めてプロフットボール選手になったが、けがで野球に転向し、米マイナーリーグでプレー。昭和26年、戦後初の米国籍選手として巨人に入団し、左打席から左右に打ち分ける巧みな打法、フットボール仕込みの猛スライディングなどで「日本の野球を変えた」と高く評価された。

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昭和29、31、32年(1954・56・57年)と首位打者を獲得。昭和32年にMVP。36年、中日に移籍し、49年には中日監督としてリーグ優勝して古巣・巨人の10連覇を阻止した。平成6年に野球殿堂入りした。


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