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母がケアハウスに入所してから もうすぐ5年になります

現在、特に病もなく穏やかに暮らしている様子です 

しかし昨年のこと 2023年春頃に 

目が見えにくいと母が訴えていて

ケアハウス専属の眼科医院で診察を受けました

 右目が静脈閉塞症

 左目が白内障と緑内障で 

手術が必要かもしれない症状で 

大きな病院に紹介状を書くとのこと 

神戸市内、紹介してもらえた眼科大病院は2カ所で 

神戸市長田区にある新長田眼科病院か 

神戸市中央区にある神戸市立神戸アイセンター病院の 

どちらに行きますかと医師からの伝言をもらいました

 

昨年この時、母の年齢は95歳 

さてどうしたらいいものか 年齢を考慮して

手術をしてもいいのだろうか

そもそも手術してもらえるのだろうか

ケアハウスではこのような病院の付き添いは家族の仕事です

私と弟で 話し合いました

結論は悩んだり後悔するなら行動しようと

 

この時、私は開頭手術してから半年しか経ってないし 

脳脊髄液減少症で まともに母の付き添いは難しいし

 私の代理に娘に頼むしかなくて 娘はおばあちゃんのためなら 叔父さんと協力して動くと返事してくれました

病院を神戸アイセンターに決めました 理由は隣が中央市民病院で救急窓口があるので母に何か起きても対応できるので安心です

ケアハウスから介護タクシー片道1万円の距離を母は通院することになりました

 

母の治療は まず右目の眼球に血管をつくらない注射を打ちました (以前86歳の時に右の片目だけ白内障の手術を済ませてました)  右目が落ち着いてから 入院して左目の白内障の手術を受けました 

毎月何回かの通院の付き添いは 弟も娘も 仕事の調節をしながらですから大変そうでした


股関節が悪くて車椅子の母が病院でトイレに行く時は 

弟と娘が二人かがりで汗だくになりながら世話をしました

二人とも8ヶ月間 母の目の治療はスムースに進んで よくがんばってくれました


母が最終の眼科受診となる日に 私は母に会うため 初めて神戸アイセンター病院に行きました

母が待合で座っている横に そっと近づいて「お母さん」と声をかけました 私を見てもはっきり見えてなさそうでキョトンとしています

何度か声をかけます 母は気がついて私の名を呼びました お互い泣き顔になって 

これから診察というのに・・・・・

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私が健康ならもっと会いに行ったのにね 本当にごめんなさい
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この会った日は昨年11月2日 母の通院終了の介護タクシーになりました


ケアハウスから毎月送られてくる書類や請求書といっしょに 時々、母の写真が同封されていることがあり  近況がわかります

 2024年5月の今月は下の2枚の写真が入ってました

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洋服屋さんが施設に来たみたいで

母が初夏の服を楽しそうに眺めています

買ったのかな? あとで請求書が回ってくるのでわかります

  今月の施設の請求明細では 母は髪の毛を染めてカットをしてました

96歳で おしゃれもしたい母のようです

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↑お花見に連れて行ってもらった写真だと思います

写真から 目が見えてる様子なので安心します 

 

同じ施設に居た96歳の父が亡くなって4年経ちました

最近、母は父のことあまり気にしてないみたい 

私のほうが命日や法事 お寺さんのことなど気にしてます 

私の主人が59歳で亡くなって11年 実家と宗派が違うお寺さんと丁寧なお付き合いも気を使います 

 母のお気楽がうらやましい

母からの電話連絡は2ヶ月に一度あるかないかくらいに減りました

「連絡ないのが いい知らせ」私の口癖なんです

「親の長生き 子の災難 あと4年で100歳だよ 天から 修行が足りないから 現世で生きて頑張れと言われてるんよ」といつも冗談まじりで母に話します

 母は長生きできてますが 今まで決して健康ではなく お腹の手術を繰り返してきました

母のおへその位置は横にずれて 脇腹や腹は手術傷あとが生々しくデコボコにへこんで 見た人はビックリされます

母の手術歴は

58歳 大腸がん 人工肛門 

60歳  人工肛門を直腸につないで埋めもどし 

68歳 腎臓がん 片側全部摘出 

75歳 大腸がん 腸閉塞 

抗がん剤をすすめられても 

もう可愛い孫もいるので命は惜しくないから 抗がん剤はお断りしますと お医者様の説得をふり切ってきました ケセラセラ長生きのコツかも 

 

母の楽しみは 孫娘の誕生日を忘れないで 大きなケーキを買って 一緒にお祝いすることと笑顔で話します 

母は何時間でも座っていられると言います 

私は座位が長く続かない 病が重いのは私のほうかも

私の脳脊髄液の病は人生の修行なのかなと思う日々です


[追記] 2015年もう9年前ですが 私が病で起きれなくて苦しんでいた時にケーキを持って毎年 両親が家に来てくれました その時の写真がありました 本当に大きなケーキです ありがとうお母さんお父さん 会いたいです