木枯らしの季節、娼婦の皆が見守る中、照代は丹精な顔立ちの少し小さめの男の子を産みました。栄養不足のため母体は必要な栄養が取れず難産でした。でも幸いな事に母乳は良く出ました。おっぱいを飲む赤ちゃんを見て娼館に住む人々はとても幸せな思いに包まれました。ほんとに本当に小さな幸せです。でも皆、生きていて良かったと心から思いました🍀

照代の産後の肥立ちもそう悪くもなく徐々に体調も回復してきました。ただ、赤ちゃんが母乳を飲むため照代の身体は痩せていきました。皆、心配し芋など色々な食べ物を照代に優先して食べさせていました🍀

赤ちゃんの泣き声が響く娼館、空襲も無く誰かが亡くなる心配も無い。貧しいけれど自然に笑顔が溢れるような幸せな時を過ごしていました😊

娼館に家族が迎えにきたり、家族から手紙がきて田舎に帰る者もいました。照代には田舎からの便りも無かったので娼館に住み続けました。他にも帰れない女性はいたので皆で協力して貧しいながら生活していました😊


そんな穏やかな生活は約2年ほどで終わりを迎えました。

娼館の立ち退きが決まったのです❗️

皆、それぞれ新しく住む場所や仕事を探しました。殆どの女性がそこから1番近い街の盛場で働く事になりました。寮のような部屋もありました。子供が小さいので親子二人で一部屋でも十分でした🍀

周りはみんな盛場で働く女性。ちょっとしたいざこざはあっても同じような心の傷を抱える者同士。その盛場には父親のいない照代親子と似たような境遇にある人はたくさんいました。殆どの未亡人女性は戦争に行く男性の子供を生む為に嫁いだ人です。中には相手の顔も忘れたと普通に語る女性もいました。

正式に結婚しなくても自分が大好きな男性の子供を生む事ができた照代は以外と盛場の皆に羨ましがられました✨

ただ照代自身は未婚で子供を産んだ後ろめたさから実家に便りを出す事はしませんでした。同じ盛場で働く女性は照代に結婚したけれど夫は戦死したという内容の手紙を実家に出してみれば❓と言って来る人もいました。

ですが貧しい農家だった為自分と子供が帰っても家族が困るのではないだろうか。娼館にいた自分が家にいると下の兄弟たちの縁談に差し支えも出る・・・と強く考えていたので照代は実家に頼らず盛場で似合わない夜の女として生きていきました。

子連れの未亡人が多かった為、夜は子供の事を見てくれる施設が盛場の中にあり子供に何かあればすぐ呼びにきて貰えたのでそう心配する事もありませんでした。

🍀ここまで読んで下さってありがとうございました🍀

🍀記事の更新が遅れてしまい申し訳ございませんでした。↓↓下の写真ですが高松ジェンヌコンサートのオーディションに3月に合格し6/2、男役・芸名・瀬戸内笑(せとうちしょう)で出演する事になりました。3ヶ月で仕上げる為、慌ただしく過ごしていて記事の更新が遅れてしまいました事をお詫び致します。もう文章は出来ているので今後は定期的に更新致します🍀

この為鑑定のペースもゆっくりになってしまう可能性がある事も重ねてお詫び致します。また、オーディション前後にオーディション関係のメールがたくさん来ていて見落としているメールがある可能性がございます。メールを下さっていて返信がまだな方は心苦しいのですが再度連絡を下されば幸いです。おっちょこちょいな性格の為ご迷惑をお掛けすることもあり大変心苦しく思っております。

今後も照代は頑張って子供と生きて行きます✨✨
どうかラストまでお付き合い下さいませ✨✨

            前世鑑定士 笑 emi