ペタしてね すっかり忘れていました汗実は、職場の方から結構古い本だと思うのですが

「ふるさと探求」という本をいただいていました。

タクシー会社なので、観光関係の仕事もあるのですよ。

その時に、観光課のドライバーさんが、北海道のルーツを勉強する時に使っていた本だそうです。

せっかく、北海道に住んでいるし、北海道以外の方にも知っていただきたいので、簡単に紹介して

いきたいと思います。

212市町村ありますから、紹介しがいあるわ音譜


札幌在住なので、札幌から紹介していきますね(笑)


「札幌市」 

 アイヌ語でサッポロ=河海の跡が乾燥して広い陸地となった所、谷地があったところ

● 屯田兵により開拓

 1886年、越後国蒲原郡、津軽国金木町、南部国五戸などから若干の入植者があり

 同時期、大友亀太郎による大友堀(現在の創成川)の開削、定山渓の湯治場設置など

 江戸の末期から、札幌は開拓が進んでしましたが、本格的に開拓が進められたのは屯田兵によっての

 開墾だそうです。

 1871年に伊達藩、白石領の旧藩主が白石と手稲軽川に145戸移住したのをかわきりに1875年には

 宮城・青森・山形・岩手県から琴似へ屯田兵198戸が入籍したそうです。

 (何だか屯田兵ってすごい歴史あったのですねあせる

 更に、現在のすすきの付近の農家の方が24戸移住して、24軒という地名ができたのもこの頃だそうです。

 里塚では、木炭が製造されていて、花卉栽培が盛んになったところから名付けられた美園地区も開け

 (里塚はもとは、札幌から3里程というところから、3里塚とも呼ばれていたようです)

 明治の初めから開拓されていた平岸地区では、1884年に、1889年福井・兵庫県から入植西岡も

 1924年にリンゴ栽培がはじまっているそうです。

 また、南区の奥、廉舞(みすまい)や小金湯も札幌農学校の第4農場が開設されたことから、熊本の

 出身者によって開拓が進められたそうです。


● サッポロビールの前身

 一方、中心部では1869年に開拓使が設置、1876年には札幌農学校が開校。

 クラーク博士が来日し、教頭を務めた事はご存じの事と思います。

 またその頃、中川清兵衛らにより、麦酒醸造所が作られ、同時に葡萄酒醸造所も作られて」います。

 この麦酒醸造所が今のサッポロビールとなって、一大企業になったのです。


と、こんな感じかな?

ちょっと難しいところもあるので、、もっと勉強したいなって思うと所もあります。

参考までに・・・・ニコニコ

また、折を見て、違う所を書きますね星 ではでは