前回からの続き
小学校へ入学した。
新しい先生。新しいオトモダチ。
新しい場所。新しい環境。
全てが怖かった。
人馴れしてない私が頑張って構築した幼稚園の友好関係の全てがリセットされた世界になった。
私の小学校は地方の田舎なので同級生は6人だった。
そのうち私と同じ幼稚園卒の子は居らず、5人が同じ保育園で、1人はまた別の保育園だった。
前回も説明したが、私には兄弟は居らず、親戚には子どもなんていなかったので同年代の子の接し方が分からない。大人に対しては「いい子」を演じて部屋のはしで大人しくおもちゃで遊んでいれば怒られないと知っていた。私は争いごとが苦手だから波風立てないように過ごしていた。
だが小学校…いや、義務教育は社会に出るために集団生活を強いられる場所である。私も今まで通りに部屋の隅で大人しく暇つぶしをしていればいい訳では無い。
人と交流していかなければ…!
でも私には辛かった。
同級生たちは同じ保育園が多いため、もう関係性ができていたし、上級生との交流会のイベントでは
上級生A「○○ちゃん、**くんの妹だよね!遊ぼっか〜」
上級生B「久しぶり!☆☆、保育園以来だね!」
兄弟での関わり、出身の保育園での関わりで私は周りからは「知らない子」という扱いだった。
私は人見知りで口下手で周りの顔色を気にして行動できなかったから全く入れ込めなかった。
友好関係の築き方を幼い頃に学べなかったこともあり、今でも苦手意識しかない。
あの頃は私以外が話している話題もわからないし、私の知らない環境で彼らの中で共通認識が確立されていたので、周りの人が別の国の人にしか見えていなかった。
ありがたいことに彼らはまだ純粋な子どもだったし、同級生6人なので
「アルちゃんも一緒に遊ぼう?」
と誘ってくれたり、頭数に始めから入れてくれていたのでなんとか同級生に交流をすることができた。
でも私は怠慢だったから全て受け身だった。
「私が遊びに誘ったら迷惑かな。」
「断られたら悲しい。」
このように臆病だったから私は成長できなかった。
これは今でもそう。
少し話がそれるが、私はこの頃知らないことがあった。
それは「休日に友達と遊ぶ」という概念だ。
ましてや「友達の家に行く」なんて発想はしたことがなかった。
でも私が知らなかっただけで、幼稚園の子たちはしょっちゅう遊んでいたらしい。これは後で知った。
1度も誘われた覚えがなかったので「え?そんなことあったんだ…」とびっくりした。
幼稚園の子たちの中でも私の家は遠かったので、遊ぶなら親の送り迎えが必要になることもあったので、当時の私は親に遠慮したのかもしれない…記憶にないが。
そんな色々な要因が重なって、私は人間関係の構築をするのに非常に時間がかかるようになってしまっていた。
さて小学校の中で、いや義務教育の中で私が1番苦労したことがある。
意外かもしれないが、それは給食だった。
なぜかと言うと、私は食べるのが非常に遅く少食だったためだ。
ゆっくり食事する家庭環境だったために小学校に入って「20分で食べ終えなさい」というハードスケジュールに私は毎日泣いていた。
私が遅いと給食当番は待たされて、貴重な昼休みが削れることになる。先生も周りも私に見せないようにはしてくれていたが、イライラしているのが目に見えていた。
「食べきれないです」と言って残すと、それはそれで残念そうな顔をする。
私は私で楽しく食事なんて出来なかったから食べるのに一生懸命になるしか無かった。
給食=必死に目の前の食事を食べる時間になってしまったので、ひたすら食事を噛み砕いて腹に収める作業をする時間になった。
急いでいるのに間に合わないし、私が必死に口に詰め込んでいる間に同級生たちは楽しそうにお喋りをして食事を楽しんでいた。
いつしか味なんて分からなくなっていたし、食事は苦痛にしかならなくなってしまった。
スケジュールをこなしていく上で集団に合わせることは必要なことだったのだけれど、どうして私の苦しみは誰も理解してくれないのかと悲しかった。
「食べることくらいで大袈裟」
「早食いの練習をしたら?」
「え?時間内に食べるとか当り前のことじゃん」
そう思う方も読む人の中にはいらっしゃるだろうし、私もたくさん言われてきた。
でも私とてみんなの大切な昼休みを奪いたくてやっている訳ではないし、イライラした雰囲気をつくりたい訳ではないから、当時の私なりに試行錯誤をしたがダメだったのだ。
私だって改善したいわ!!
小学校や中学校の担任の先生にも
「最初から減らせばいいよ?(なんでそんなこともできないの?)」
と言われたこともあった。
それだとお腹空くんですわ。
本当に食事に関しては今も苦痛で仕方がない。
