ご訪問ありがとうございますニコニコ


先日、上京してきた叔母と一緒に初めてはとバスに乗りました。
桜の名所を巡るコースです。

思い切り外しました。桜、全く咲いていませんでした。でも、はとバス楽しかったです。

若いバスガイドさんの歌う『東京のバスガイド』、懐かしい「発車~オーライ♬」にウルっときました。若い人の頑張っている姿に涙腺緩む年齢に笑い泣き


叔母は母が亡くなった年齢になっていました。まだまだ元気ですが、会えるうちにどんどん会っておこうと思う年齢になりました。



こんな桜が見たかった



祖父母の話になりました。

亡くなった母から戦争中満州にいた祖父は、シベリアに抑留されて体が弱くなり、戦後はほとんど働く事ができなかったと聞いていたと記憶していたのですが、

叔母曰く


「シベリアまで行ったかな?」

ええっ!子供の頃から祖父はシベリアに抑留されたと聞いていた。祖父本人は戦争の事は語りませんでした。

叔母の話のほうが正確らしく、祖父はソ連の捕虜になったけれど、肺結核を患っていたので、すぐ帰国が許されたのだそうです。うつるからです。

病気のおかげですぐ帰国できたので、病気も悪い面だけではないのですね。腎臓にも疾患があったとか。

シベリアでの強制労働で体を壊したのではなかったのです。

また、初めて知ったのですが、祖父は徴兵されて戦争に行ったのではなく職業軍人だったそうです。

という事は、きっと元々は体力に自信があるほうだったと思うのです。そして、体が弱くなった理由を祖父本人は、


「馬に蹴られたから」


と言っていたそうです。腎臓の辺りでも蹴られたのか?馬に蹴られて肺結核にはならないと思うけど、臓器を蹴られて体が弱くてなって肺結核にうつりやすくなった?


病気がちな人生を過ごした祖父は元々は丈夫な人で、病弱になった直接の原因が馬に蹴られるという不運だったということ?でもそのおかげで強制労働を免れた。


戦争に行ったのも徴兵ではなく、職業として軍人を選んだから。それが理由かどうか、体の弱かった祖父は明るかった。運命を恨む感じがなく、晩年、日常を楽しんでいた。丈夫だったら‥‥‥なんて感じがなかった。


『人間万事塞翁が馬』とは 本当だなあ。


祖父が働ける体ではなかったので、祖母は大変苦労した。ヤミ米を売っていて警察に捕まって泣きながら帰ってきた事もあると聞いていました。

私は何となく地元の宮城県、仙台市辺りでヤミ米を売っていたのかなあと想像していました。

祖母は幼かった叔母を連れて東京までヤミ米を売りに行っていたと、叔母から聞いて初めて知りました。

新幹線も特急もない時代に宮城県から東京まで米を背負って子供を連れて。想像以上の苦労でした。

叔母は幼い時に見た上野駅の浮浪児を覚えているそうです。

苦労の多い人生だった祖母は裕福な家に生まれ、幼い頃は芸者遊びに連れて行ってもらっていたとか。

桜は見れなかったけど、家族のルーツを 知れた良い一日でした🌸


そして、はとバスの楽しさも知ったので、また乗ろうと叔母と話しています。


読んでいただいてありがとうございましたニコニコ