私は神奈川県民だけど小泉が勝たないで良かったと思います。
聞けば今下の子1歳くらいだそうで? そこで総裁の夫人は重荷すぎませんか?と。
子供と奥さんのことを考えたら辞退してもいいくらい。
今やらなくても10年後に黙ってても来るでしょう?(自民党があれば)
一方高市さん
ウイキを読むと相手の方の連れ子と養子を迎えているようで最低で四人以上の子育てをしてるみたい。
子育てが全てではない(現代の風潮を加味して言うと)だけど、私もこっち側なのでついつい、そういうのをやった上で
国会議員をしてるのか? すごいなあ(高市、小渕、小泉etc)
と。
細分化するといくつにもなってしまうが(多様性の時代なので)
ざっくりでいうと、結婚するのか?しないのか? 籍を入れるのか?入れないのか? 子供を作るのか? 作らないのか?
産まないのであれば養子を取るのか取らないのか? という選択肢がある。
私個人としてはそんなの本人の自由だろ?と思う。
けど、老害の人々にとって自分たちが築いてきた世の中が続くかどうかは重要な要素なのだ
自分が死ぬまでは安泰で居たいと思うのが年金受給世代いわゆる老害世代である(そうじゃない人もいる)
そのためには社会が継続してほしいと願うのだ。
私の知り合いに別にLGBTでもないが、結婚しないで独り身の人がいる。
その人に酒の席でこれからさきどうなるか?と言う問を投げたら
自分の世代だけうまくいけばいい。死んだあとのことなんか知らないと言っていた。
ああ、そうか そうなのか?と思ってしまった。
私より才があり収入もあるのにそうか、世の中に貢献してよりよい世の中にしようと思ってないんだ?と
私は若い頃手塚治虫のブッダを読んで以来、うさぎが身を投げて焼かれるシーンのくだりのあと説く話の一節
「お金のあるものはお金を、力のあるものは力を、なにもない者は痛みに寄り添う心を、それを慈悲と呼ぼう」
というシーンに感銘を受けた。
困ってる人や災害で苦労してる人に、お金を送れればお金を、近くに居て片付け等に力を貸せたら力を、被災して大変だろうな?
とだけでも思えたらそれは慈悲です。と。
そしてそういう心を誰もが持っていてただ、忘れているだけだよね?と。
でも、長く生きてるとそうではないのかも?と思う場面はたくさんある
生きるのにめんどうだから人を刺したりとか、火をつけたり
人が生きるために熊を殺すと熊を殺すなと電話したりとかね?
恥を知らずに市長の座に居座っている伊東市長、前橋市長も同罪である。
ああいうのってなんだろうね? 意地なのかな? 人の心が壊れたのかな?
一から道徳というのは・・・・・って授業しないと駄目なのかな?
最近目につくのはルールを守らずゴミが出しっぱなしになっている集合住宅ね?(JA系の賃貸に多い)
ゴミをちゃんと出しましょうなんて習ってなくてもできるだろう?と思うのだけど逆に差別ヒステリーの人はそういうのですら
多様性を認めてないと怒るのだろうか?
という一方で自分の産んだ子でない人を養子に迎え(私の周りには一人もそういう人いない、みんな迎えようかと張り合うけど迎えていない)家族として連れ子の子供と一緒に育てているのはすごいなと思う。
そういう意味で小泉の小倅じゃなくて、高市さんで良かったと思う。
あと、若いときの高市さん結構可愛いね。ドキッとしちゃう! 今はアレだけど(汗)
古いスープラ乗ってるのもいいね(たしか)
古い車に税かけるの止めなよ、高市さん。 新しいエコなプリウスに老人が乗って暴走してるでしょ? あれってエセエコなのよ
それを止めたらもう、高市派になっちゃうよ。 それくらい我が家では重要である(次の車検取るの費用の面で迷ってるくらいうちの家計はカツカツですから)