若い時 下道を走るしかなく よく都内を抜けて箱根や伊豆に来ていた
そのうち お金も余裕ができて時間をお金で買って高速を走った
首都高に乗る前など小銭を用意して出せるようにしてバイクを走らせた
今ではお金すら払わない 機械が通信してカード決済
お疲れさまでした、お気をつけてもない
お姉さんが料金を伝えてくれる
今では行かなくなったが数年前まで月に一度干物と水を積んで(ときには請求書も)実家へ通った
最初は金の力にまかせて大井松田から久喜インターまで乗った(笑)
沿道の下道を知ると高速道路を使う区間が減り、最終的には古河を出て入間まで走ったこともある
行きなんてひどい。
高速を台風で使えないとき、全部下道で走ったこともあるすれ違う車が数台、2時間くらいで五霞のキューピー前まで行った
でも、トイレを使いたいので圏央厚木で乗って入間で降りた厚木でもトイレに寄れるし、こちらから入間で出ると料金所の先にといれがあるのだ(左)入間から乗ると使えない。
古河からの帰り、昔は夜中に出ていた。
親を起こすので結局最期は夜の七時にでて一の湯で風呂に浸かって時間調整をした。
九時半すぎくらいにでて川島まで一時間くらい。ここで乗ってもいいけど結局、節約のために川越をかすめて入間から乗った
実は川越にもトイレポイントが有る。 工業団地の中のトイレハザードつけておけばトイレできっぷも切られない。
ただ、男はいいけど、女性は夜中怖いかな?(汗)
入間から乗ると青梅の先にオービスがある急いで帰りたいけどのんびり帰るのだ
帰りは荷室が大概満載だ
じゃがいも、玉ねぎ、長ネギ、その他畑で取れた野菜、道の駅で買った物
母は必ず、赤飯と唐揚げをもたせてくれた。
「孫に食わすんだよ! お前が食べるんじゃないよ!」って(笑)
厚木PAで11時半過ぎていた時はそのままトイレだけ寄って向かう
小田原厚木の小田原西インターが近いけど、深夜割を使うために(当時の規約)大井松田を12時過ぎに出ないといけない
古河へ向かう時は下道をのんびりドンキとか寄って来るから厚木で圏央道に入る時は12時すぎている
帰りは大井松田を12時過ぎに抜けて自宅に15分から20分につく
荷物を下ろし、家の中に運び入れ、一時くらいから乃木坂系の番組を見ながら唐揚げを食べる(孫にもあげるよ)
その時のチューハイを開けるプシュ!という音が競馬のファンファーレのように聞こえるのだ。
おつかれさまでした、おかえりなさいと。
リビングの猫はみんな寝ている、騒いでるのは坂道系のアイドル
あなたの通った道は過去に私がそうやって故郷に向かい、帰った道