合歓木
誰かに管理されやすい
「普通」でなくてもいい
わたしはわたしのままで
あなたはあなたのままで
生きていく世界を創ろう
「あるがまま、でいい。」
というのはなにも、
「自分勝手、自我欲の暴走を行使していい。」
と思っている、ということではありません。
世の中には、団体行動をする上で、「常識」「普通」というものが、存在します。
特に社会生活という団体行動は、ピラミッドタイプの管理体制なので、管理しやすいように「常識」「普通」という基準が、設けられています。
ただし、「常識」「普通」という定規の中で、違和感を感じていたり、時に、定規をあてられることで、非常に苦しみ、傷つく人が存在するのです。
私のような、よくいる凡人の一人であっても、社会生活での「常識」「普通」は、波動が荒い、というか硬いというか…非常に窮屈で複雑(面倒くさい)と、感じることもあるのが、現在の社会です。
今年に入って私は、Youtubeを閲覧することを、毎晩の楽しみにしていたわけですが、数日前、ある人格解離者の動画に惹き付けられました。
主人格も、動画をアップしていたらしいのですが、今年に入っては、もう一人の人格が、メインで動画活動を続けているようでした。
主人格は女性でしたが、動画アップ主は、男性、医学的にいえば、トランスジェンダー(性同一性障害者のうち,解剖学上の性とは逆の性で社会生活を行うが外科的手術までは望まない人。というか、彼の身体は、彼だけのものではないので、結果的に望めない(汗))なのだそうです。
一番最初に観た彼の動画、開始15秒くらいは、
「男装女子」
に、見えたことは否めませんが、人格障害のこと、トランスジェンダーのことを話す彼を見ているうちに、男性にしか見えなくなりました。
私は、宝塚ファンでもないし、男装女子に惹かれる趣味もありません。
そういう趣味趣向である私の目から見ても、彼のことを、普通に男性として、「カッコいい」と、思いました。
あるスピリチュアル系のブログで、
「人として生まれてくる時、前世の人間まるごとが、転生する訳ではない。様々な魂が、ごちゃ混ぜ状態にされて、共通する『人生テーマ』ごとに、1つの肉体が与えられる。」
と、いう記事を読んだことを、思い出しました。
人として生まれて、一番最初に自我覚醒した人格が主人格になるとしても、人の身体には、複数の人格が潜在しているのだそうです。
もし、精神の崩壊、または生命の危機に関わるような事象が発生した場合、自己防衛能力として、別の人格が自我覚醒される。
「自己防衛能力」と言えば、花粉症と同じ。
多重人格の特徴で、最も自他共に困惑する事象は、記憶障害。
つまり、自分で行った記憶のない出来事が存在すること。
彼らの場合、それがないようです。
どちらの人格が表に出たとしても、裏で「見ている」感覚が、あるらしいのです。
また万一、記憶の断片に記憶障害が現れたとしても、他人に迷惑をかけないように、人格間とのコミュニケーションは、書面やネット媒体などで、密に行う努力をしておられるようです。
①他人に迷惑をかけない努力をしている。
②自立して生きていけるよう、社会生活も営んでいる。
「普通」という、カテゴリに収まらなかったとしても、彼らなりに、社会生活を営もうと、努力をしておられるのです。
私は、彼らのような「個性」をもつ人が存在するということを、認識し、また受け入れたいと思っています。
また受け入れることが、当たり前の世界を創っていきたいと、彼の動画を観て、強く感じました。
でもね、
「受け入れたい」
とか力まなくても、正直、私の感覚では、
彼らは、
「双子の姉弟」
にしか、見えないのですけどね(^-^;
hydeさん、これからも楽しく動画活動を続けていってほしいです。