なにも知らないボクにしょうさまが教えてくれたのはひらがなからだった。
色々な形の書いてある紙を机の上に広げ、
「ここには、組み合わせば全ての呼び名になる文字が書いてある。
これとこれとこの3文字でじゅん、お前の名前だな点々を濁点と呼ぶのだが、その名の通り音が濁る。じゅんの“じ“は点々を取れば“し”。
縦と横との数を数えてみろそこに載っていないものが濁点と半濁音か。
これは使っているうちに解る。
お前はまず、物の呼び名と字を組み合わせることだけを考えろ」
(はい)
コクりと頷いたわれのほほに手を当て、
「はいなら1回、いいえなら2回手に触れろ。解らないときはこう」
そういって、われの手のひらにゆっくりと丸とは違う形を書いた。
それがわからなくて、見よう見まねでしょうさまの手のひらをなぞってみる。
「そう、それが、解らない、の印。良く解っているよ、じゅんお前は」
解ってる?われ、しょうさまの言ったこと解ってる!それがしょうさまに伝わってる!
嬉しくて何度も何度も同じ形をなぞると、笑いながら、
「はしゃいでるのか?わからないわからないってばっかり書いて、それじゃあ本当にわからない時が俺にはわからないじゃないか」
大きな手のひらがほほをなぞって頭をくしゃくしゃっとした。
大きな手。
われと違うスベスベとして柔らかい手。
【主】はわれに触れることもなくわれの【魂】を食した。
かかやややの手に抱かれたこともなく、誰も話しかける人もいなかったわれに、声という音をもたらしたしょうさま。
われは、しょうさまが要らないというまでそばにいよう。ううん、いたい。
われの【主】は【しょうさま】だ。
われはしっかりとしょうさまの手を握る。
伝わりますように、われの気持ちが伝わりますように……。
「潤、字を覚えることはお前には難しくないと思っている。
難しいのはそれを文章にする事と、表現を知ること。
欧米人は日本国の言葉が難しいも言う。
人の機微を感じ、読み取り言葉の裏のその意味さえも含んだ言葉が例えば『はい』という言葉ひとつで済んでしまう。
これは、この大日本帝国に生まれたからには持って生まれた性分としか言いようがない。
それも含めて、お前に文字を覚えてもらい、点字に起して俺に伝えてくれ。
それと、俺は度々呼ばれてピアノを弾きに行く。人の眼が奇異な物のように見るのを目の当たりにすると思っていて欲しい。からくり小屋の木偶だと思われているからな、俺は。
そこで、じゅんには誰がどんなことを井達いたか、どんな態度を取っていたかを見て俺に伝えて欲しい。
まあ、俺の付き人としての社交界デビューはまだまだ先の事だけれどな」
われは、しょうさまの手を1度だけなぜた。
われを必要としてくれているしょうさま。
われは、その期待に添いたい。