次々に運ばれてくるのは得体の知れないものばかり。
全部がほかほかと湯気を立てている。
今までのわれには採ってきた薬草をお湯と御供えの米とを焚き火で使った粥くらいしか熱いものはほとんどなかった。
ありとあらゆるもの、あるがままを受け入れ【ぬし】(村の人はぬしさまと呼んで御祈りしてたから【あれ】ではなく【ぬし】が正しいんだろうと思う)から伝わることをやり、村の人に解るように伝え、身を川の流れの中で清め続けることがわれのやることだった。
食べ物はくちくならない限りは何も食べないような暮らし。
だから、今、目の前並んでいるものの価値すら解らない。
「我が家では、3食。
朝食、昼食、夕食。その他に間食が入るときもあるが基本はこの3食。
内容と食器の位置を覚えろ。目が見えない俺にはいつも同じところに同じももがないだけで食事が進まない。外で出された時もそうだ。
お前が直して俺に恥をかくような真似をさせるな。
それから、食事にも作法がある……」
しょうさまは食器の並べ方、汚ならしい食べ方、出しい食べ方、給仕の仕方をわれに滔々と語った。
われは必死で付いていくしかなく、だんだん何が間違いなのかを忘れた。
正しいことだけを頭に入れていれば自ずと間違いに気がつくという配慮のもとにしょうさまがおこなってくれていたのだとはそのときは解らなかったけれど、初めて他家を訪問した時にその才覚に圧倒されずにはいられなかった。