俄に部屋が忙しくなった。
村の長のお袋様が何か指示をしながら家へと入ってくる。
あ、ややが生まれるんだな。
恵はそう直感し、前々から言われていた通り、家に有るったけの鍋を竈に置き水を湧かし出した。急いで竹筒を吹き火を強めながら犬神の守り神を見ながら安産でありますようにと願った。
竈の犬神様は火や盗人からの守り神だけど、戌の日さ帯締さして安産守りにすっくらいだで、願ってもかまわんベ?
などと都合の良いことを思いつつ、ぐらぐらと煮立つ水を見つめていた。
「恵、えれぇなぁ。言われんとってもこっつさしよっちょる。こげん湯ぅ沸いとったらおまんのかかも安心して子さ産める。ええ姉ちゃんや、ほんまええ姉ちゃんになるきに。もう少しでややも産まれる。楽しみに待っときや」
近所の女氏達が集まり産室を囲む。
と、神主や村長までがやってきて、祈祷を始めるではないか。
こんなこと未だかつて無かったことで、恵は目を白黒させながら言われたままに動いていると俄に、
「吾子が生まれたど~!神々しい勾玉をもっちょる元気な男の吾子や!」
お袋様の大きな声が響き、祈祷がますます声高らかになって、いつか見た天守様のお出ましのようだと思った恵は、ふと、不思議に思った。
ややの声が聞こえてこなかった。丘ん上の裕が生まれた時は村中のどこにいてもわかるくらいに大きなややの声が聞こえた。
けれど、今ややの声は何も聞こえない。ただ大人達はむせび泣いたり祈祷の声を大きくしたり……それに……、
「花嫁様のお出ましや~!」
と言う声が聞こえた。
花嫁?神さんの花嫁?【男の吾子】言わなかったか?
花嫁くらい我にもわかる。花嫁は男なんかじゃなく女のはずや。ややは男で花嫁にはなれんはずや。大人達はこないに喜ぶのか。ほんまにややは無事産まれてきたんやろか?
何も知らない恵は、何が起こったのかわからないまま狂喜乱舞する大人達を見ていた……。