改めまして、こんにちは
ねむ子です
今日は、このブログをはじめるにあたって、これまでの闘病生活を時系列で文章にしてみました
タイトルの通り、白血病になってもう8年!
色々なエピソードがあるので、思い出しながら小出しに投稿するつもりだったのですが、「先ずはさしあたり、サーッと病歴を」とこの記事を書き始めたら止まらなくなってしまい、当初の予定を遥かに上回るボリュームの文章が完成した次第です
プロフィールの方で簡単な病歴をまとめてみましたので、当記事は「せっかくだから読んでやるよ!」という優しいお方だけ、お付き合いくださいませ
事の始まりは約8年前、2008年11月、中学2年生の冬に貧血の症状で血液検査を受けたところヘモグロビン値が4g/dlという驚きの結果を叩き出し即入院……!
昨日まで顔面蒼白になりながらも体育でマラソンを走っていたというのに、紹介状を持って病院についた途端に車椅子に乗せられて、びっくりしたのを覚えています……
詳しい検査の結果、急性リンパ性白血病と診断
小児白血病の括りでは年齢が高かった為、ハイリスクプロトコルで3年間の化学療法がスタートしました
治療自体は順調に進みましたが、1年目、2年目に行ったステロイド治療の影響で、2010年頃から両膝、両肩、両大腿骨の順に骨壊死を発症、痛みも強く、要安静と言われ車椅子&杖の生活となってしまいました
2013年、高校の卒業と同時に右の大腿骨(股関節) を人工関節にする手術を受け、翌年2014年には左にも人工関節を入れました
やっと満足に歩けるようになり、「20歳、人生これからだ!」と思っていた矢先、2015年11月に、定期検査でまさかの再発が発覚!
治療終了から5年、初寛解から約8年
マジっすか……
告知から一週間後にがんセンターに入院することになり、頭はグチャグチャのまま身体はバタバタと準備をしていました
告知から一週間後にがんセンターに入院することになり、頭はグチャグチャのまま身体はバタバタと準備をしていました
病院で話を治療の日程を説明され、ふと、振袖も買って髪型も決めて本当に本当に楽しみにしていた成人式に出れないという現実を理解したときが、病気が再発したって言われたときよりなにより、一番つらかったです
がんセンターに入院し、骨髄移植に向けて化学療法を続けるも、治療が中々うまくいかず寛解出来ない&ドナーさんも見つからないという状態で、移植をしても五年生存率10%という恐ろしい数字を聞かされました
母には当時の主治医から移植をしない道についても少し話があったそうです
バンクのドナーさんを待つ時間が無く、再発のリスクを承知で今の病院で臍帯血移植をするか、兵庫まで行って両親からハプロ移植をやるか、という決断を迫られました
兵庫医大で行われているハプロ移植は、まだ患者数も少なく実験的な治療らしいのですが、実際に兵庫まで話を聞きに言って、先生方から感じる「自信」に心がかなり傾きました
ただ、転院を決めれば、兵庫へと住む場所を借りて、入院してから退院して病状が安定するまでの一年以上、あっちで暮らさなければいけないということ、
地元を離れて家族もバラバラで、新しい病院、それも大学病院へ……ということ、
そして古い病院の狭くて天井が低く個室にトイレがない無菌室を見て「どうしても兵庫には行きたくない、でも、死にたくない」という葛藤と戦う事になります
早く決めなきゃ時間がない、自分で決めるしかない、怖い、怖い、怖い!悩みに悩んで家族の前で一生分泣いて叫んで、今の病院に残ることを決意しました
そこで腹がくくれたのか、大荒れだった気持ちがだんだん落ち着いてきて……
そしたらなんと!
まさかまさかの、バンクの方でドナーさんが見つかったのです!!!
本当に言葉では言い表せないほどの、まさに「奇跡」でした
2016年の夏ごろに移植
2016年の夏ごろに移植
現在は無事退院 して、週に2回の通院で経過を観察中です
マルクの結果、寛解には至ったものの、完全に白血病細胞を無くすことは出来ず、今も油断出来ない状態です
ただ、一番ショックだった味覚障害が年末頃から回復して、現在は自宅で家族と美味しいものを食べてる毎日です
今の一番の問題は、初発の時に骨壊死してしまった両肩関節の骨が完全に潰れてしまって、大きく変形しているので痛みが強く、疼痛のコントロールが難しいです
2017.03.06