夏は文庫の買い時か | だらだらしてみる。

夏は文庫の買い時か

「至らないな」と思う事が多々あるが、本、特に小説を読み終えた後に、それを痛感する。文の綴り方がどうこうというような技巧的な話ではない。


一冊の本を読み終える。そこで得た世界を、自分の中で反芻する。これは、本を読み終えた後の楽しみの一つであると思う。僕も、読後に「浸る」のは大好きだ。色んな事を考えたりもする。
読書の最中には本の広げる世界に飛び込み、現実世界の物事は見えなくなる。楽しんでいる時に邪魔が入ると、この世の終わりが来たような哀しみを受ける。


夢気分で本の世界にトリップする。
醒めた後も、残り香を楽しむ。


とても心地の好い一人遊びだ。


そう、一人遊びなのだ。


昔から、読書感想文というモノが嫌いだった。僕が書くソレはいつも、単なるあらすじ・ネタバレに収束していた。他に何も書けないのだ。
感想というものは、主観である。主観。「わたしの意見」、「わたしの読み方」。主体性の無い子供だったのだろう。いや、今でもソレの存在がよくわからない。
「あなたはどう思うの」という質問に、僕は滅法弱い。そんな時はいつも、脳がこの世から消え去り、嫌な時間の流れの後、チグハグな返答をしているように思う。


読後の感想を求められるのは、話し相手が既読・未読に関係無く、僕にとっては非常に厄介事だ。
既読者相手の場合、本の内容について話す事ができる。だがそれは、「既に醒めた夢」なのだ。振り返ってみる事は出来ても、同じ世界に行く事は出来ないし、見ていた夢は一人一人違うものだ。こういう時に僕はどうしたらいいかわからず、「書き方」に関する自分勝手な講釈へと向かってしまう。夢を見せてくれた作家陣になんと失礼な事か。
未読の人が相手であると、何を話したらいいものかわからない。それこそ「あらすじ」を話す事は出来るが、それは文庫本なら裏表紙、ハードカバーなら帯等を見てもらえれば済むことであるし、それらを書いた人はプロの編集者や作家であるから、僕の言葉よりよっぽど明解なものであろう。

では何を話したらいいのだろうかといえば、何も思い当たらなくなってしまう。
ただ漠然と「面白かった」としか答えられない自分がいる。


言葉の足らなさは勿論の事、思考の鈍さをどうにか出来ないものだろうか。


「評論家」なんてモノになる気はさらさら無いので、このまま一人遊びを続けるのも悪くないと感じてはいるけれど。



といった所で、恩田陸『MAZE』、面白かった。



家に帰る途中で思ったのだけれど、漠然とした「面白かった」でいい気がする。どこか一つに焦点を当てどうこう述べる、そんな読み方はしたくない。


終わり。