遺伝について

 

 

今日も仕事がとっても暇なので

久しぶりに書きたいと思います。

 

会社にばれたらやばいけど、

席が壁側ということもあって助かってる、、、

 

 

 

 

私は以前の記事でも書いたように

2023年5月に

驚愕病(Hereditary hyperekplexia)と

診断を受けた25歳OLです。

 

 

幼いころから、

手をついて転ぶことができない、

何もないところで転ぶ

転んだら頭や顔に大けがをする

 

といったことで

周囲とは違う扱いを受けてきました。

 

ただ、見た目や知能は人並みで

特別支援学級に通ったりしたことはありません。

ただ、ただ、

 

転びやすい変わった子

 

として生きてきました。

 

 

 

そんな扱いが辛くて、

中学生のころから真面目に学校に通うのを

やめました。

 

 

同じく、学校という狭い社会から逃げ出した

友人と深夜まで遊んでみたり、

タバコや酒に手を出してみたり、

色々なことを経験しました。

 

 

 

それでも私の中で培われてきた常識の範囲内から

飛び出すことはできずに

出席日数が少なくてもいける

偏差値の低い私立の高校に進学し、

なかなかの成績をキープして

指定校推薦で地元のFラン大学に通うことになりました。

 

 

でもその間にも階段から落ちて顎やこめかみを縫ったり、

驚愕病の症状はずっと継続していました。

 

 

自分は他の子とは何か違うとわかっていながら

向き合わなかったから

根本的な解決にはならなかった。

 

 

大学進学も決定した高校3年の春から

キャバクラで働き、できるだけ少ない出勤で

大金を稼ぎ、車や洋服などにつぎ込みました。

 

 

今思えば、みんなと同じになれないなら

とことん変わった経験を積んでやる

みたいな気持ちだったのかな。

 

だから稼いだお金で何がしたかったわけじゃないし、

使いたいだけ使ってきたので

今も手元に残るのは、わずかな貯金と少し狂った金銭感覚。

 

 

 

 

そして、大学卒業後はコロナ禍だったにもかかわらず

 

楽しそう!

 

だけで地元の旅行会社に就職。

 

待っていたのは、残業代、ボーナスなしの

週6勤務の毎日でした。

 

 

この会社は添乗員としてお客様と

旅行に行くことや、小学生のスキー教室で

インストラクターとして働くこともあり、

驚愕病の私にとっては辛い業務内容でした。

 

 

そして1年半で転職を決め、今の会社で事務員として

働いています。

 

業務内容はデスクワークのみの土日休み。

夏季・冬期賞与ありの私にとっては

最高の労働環境でした。

 

 

転職成功に喜んでいたのも束の間、

入社半年の昨年の5月倉庫に向かう途中で死角から

上司が急いで入室したことに驚き転倒し、

外傷性くも膜下出血と

頭蓋骨骨折という大けがを負いました。

 

この怪我がきっかけとなり、

ついに驚愕病として確定診断をもらい、

投薬治療(対症療法)を受けています。

 

 

 

投薬が始まってから大きな音や多少の刺激に

驚かないことへの驚きと

日常生活の過ごしやすさに世界が変わったようでした。

ただそれと同時に

なぜもっと早く自分と向き合わなかったのだろうと

強く後悔しました。

 

今回の事故で

私は慢性的な耳鳴りを伴う聴力の低下と

嗅覚の著しい低下という後遺症を抱えることになりました。

 

向き合わなかったことへの代償?

 

 

そして3カ月の療養を経て職場復帰しました。

ここでも割れ物扱いです。

 

 

また私生活では、だらだらと会っていた元カレと

この怪我がきっかけでまた付き合うことになり、

また、新しい日常生活が始まった矢先、

妊娠が発覚しました。

 

 

今まではどれだけ排卵日に行為に及んだとしても

妊娠することはなかったのに、

未成年のころから飲酒・喫煙を繰り返してきたことが

きっと一番の原因だったのでしょう。

 

私が飲むリボトリールはお酒と相性が悪く、

結果的な禁酒と

1カ月の入院期間を経て禁煙に成功した私の体は

いとも簡単に二人の間に新しい命を授かりました。

 

 

子供は作れない。

できないなら無理することはない。

 

 

と思っていた私にとっては

驚きと感動で胸がいっぱいでした。

 

ただ、私は驚愕病。

 

2人に1人の確立で遺伝する病気

を持っている。

 

この子にも私と同じ思いをさせるのか。

 

たとえ驚愕病は遺伝しなかった場合でも

健康に産むことができるのか。

 

私たち夫婦のエゴで産まれるこの子を

幸せにできるのか。

 

今も悩み苦しんでいます。

 

ただ、もう後戻りも後悔もしたくないので

驚愕病も対症療法はあるし、

私が私と向き合わなかった分

この子に万が一のことがあれば

私のすべてをかけて向き合っていくつもりです。

 

 

 

まだ先のことはわからないけれど

きっと天寿を全うすることは私にはもう叶いません。

 

 

5月に生まれるわが子に

支えてくれた夫に

関わってくれたみんなに

これから何か一つでも残せるように頑張ります。

 

そして自分自身にも。

 

 

どんな最期を迎えるかは

わからないけど

幸せだったと思えるように。

 

 

 

最期に聞こえる言葉は

ありがとうだったらいいな

なんて思います。