さて、春くらいからドラクエ11をプレーしていたがようやく先日クリアした。
こやつは天鳳でアツくなったときに箸休め的な使い方で大変お世話になった。
七段になれたのもドラクエ11あってのことと言っても過言ではない。
最近は腰痛の薬の副作用で眠いのもあってあんまり天鳳もできていなかったのでラスボスだけ残っていたのをついに倒したのであった。
さて、まずドラクエ11はなんといっても名作の呼び声高い。
辛口が多いアマゾンのゲームレビューの中でもかなり得点が高いのは気になっていたが、実際にプレーしてみると正直何がおもしろいのか最初の頃はよくわからなかった。
というか最後クリアする直前までよくわからなかった。
が、ようやく最後になってこれまでのロトシリーズ、天空シリーズの伏線を回収していることがわかった。
正直かなりグラフィックがリアルになっていく中で「はい、いいえ」しかしゃべらない主人公に感情移入するのは自分には無理だった。
たまたま嫁さんちの無口なネコの名前をつけたので彼はヒトではなくネコとして過ごしてもらうほうが違和感がない。
こういうところを見ると、ドラクエ11など直近のドラクエから始めたキッズにとっては大して面白くもない作品に違いない。
しかし往年のドラクエユーザーにとっては昔のドラクエ、ひいては昔のドラクエをプレーしていた若かりし頃の思い出をノスタルジックに思い出させてくれる存在、それがドラクエ11なのであろうと思った。
これは人気になるはずだ。
ゲームレビューはこれくらいにしまして・・
今回ゲームを進めていく上では次の攻略サイトに結構お世話になった。
見てください、この圧倒的ボリューム。
これに書いてあるとおりにやっていけば誰でも簡単にクリアできる。
自分も最初から極力見ないようにしていたが、少し行き詰まるとすぐ見てしまっていた。
そこで気づいたのは、自分はこのサイトを読むことはできても、書く側には絶対になれないということ。
それは時間のなさ、だったり興味の問題だったりするんだろうけど、一番はやっぱり真剣に取り組む姿勢の問題だと思う。
これって麻雀でも同じこと言えます。
自分は結構戦術書は買うほうなのですが、戦術書を読むだけの人と書く人では圧倒的に差があると思う。
いわば戦術書を毎回読むことによって自分で考えることを放棄している時点でトッププレイヤーへの道を自ら断っているようなものなのではないかとすら思えてきた。
麻雀戦術書を毎回買っているだけでもかなりガチ勢な感じするじゃないですかー。
でも本当にガチ勢なら、本で読んだことを元に自分の牌譜を全部ひっくり返して見るべきだと思うんですよね。
少なくとも自分はそれをしていないし、むしろ牌譜を開けてなんとなくアタリ牌の枚数やツカなさを確認する程度でお茶を濁している時点でかなりたちの悪いガチ勢もどきだ。
結局これも真剣度の話になってくる。
なんとなく七段なったらこの界隈ではちょっと強い扱いにはなるし、鳳凰卓経験者の99%は天鳳位になれない現実を見ると鳳凰卓到達が実質的なゲームクリアになっている。
特上卓で長くやっていたのに鳳凰卓にあがるなりあんまり勝てなくて保存という名のもとに天鳳辞めた人って結構多いんじゃないかな。
これも生業ではないから個人の価値観の問題だとは思うけど、やっぱり言いたいのはガチ勢であるフリをするのは実力向上という観点では結構障害になるなということ。
趣味の範囲とはいえ、うまくなりたいならやはり戦術を語れる程度に自分で考え、学ばないといけないと思う。
「趣味だから」というのは誰も異論を挟むことのできないど正論、だからこそ最大の逃げ口上になっていることも自覚すべきなんだと思うんだよね。
あと、どうでもいい自分語りだけど、最近ブログを続けてきて少し文章が読みやすくなってきたのではないかと思えてきた。
ほとんど構成を考えたり、推敲しているわけでもないけど、読み返したら意外にスッキリ書けたなと思うことが増えてきた。
こういう慢心が三流者の証とも言えるのだが、こういう三流者でも続けていれば少しは上達することもあるんですよ(大和田さんなら助走つけながら自著を叩きつけるレベルの雑な論理展開)。
あとは戦術を語れるようになることだな、うん。
うまくまとめた感じはしないけど、いったんここまで。
とりあえずこの10戦で壊滅した鳳凰卓の成績UPに頑張っていきます。