先日 出演していただいた
Maicaさんのブログを見たら


なるほどな…
と言う事が書いてあったので
紹介しますね。

誰でも口から
プラスの事もマイナスの事も吐く

だから [吐]と言う字は
口と + と - でできている

マイナスの事を言わなくなると
- が消えて
[叶]と言う字になる

プラス思考で生きていれば
願いや 想いが きっと
叶う

そう思って生きて行こうチョキ


私が生まれた
山形県新庄市は
城下町で


子供の頃は
そんな風に思わなかったけど

大人になって
その街を見渡すと

何故か セピア色に見えてならない…




幼い頃は
おてんばで

首に下げた 鎖のチェーンの御守りも
噛みちぎるし
遊ぶのは
近所の男の子ばかり



いつも
母と一緒じゃないと幼稚園にも行けないほどの
引っ込み思案の姉とは
正反対の野生児だった

のは はっきりと記憶している。


美、理容院を営んでいた我が家


三人の住込みの御弟子さん達をかかえ

母親が常に働いていたため



近所の方達や

高校生の お兄さん お姉さんが

気遣って下さり
それは それは
私達を可愛がってくれた。

のだそうだ…




三年前くらいになるだろうか?
山形へ
叔母のお見舞いに行った時

私達が 山形に来ている事を
もう一人の叔母に聞いたと言う

ある男性が

どーしても
私達姉妹に
逢いたいからと


わざわざ
叔母が入院している病院まで
逢いに来てくれた。

彼は
我が家のお向かいにある
テーラーに勤務していた男性で

名前と

仕立屋さんだっただけに
とてもおしゃれな男性だった事は

はっきりと覚えているが



顔は
うっすらとしか おぽえていなかった

だけど

『ユッキー、ヒロ!覚えてる?ちっともかわってないなぁ~』

と言う声に

とても 懐かしさを感じ

段々と
記憶がよみがえってきた

そして

涙が溢れた…


『どうしても これを渡したかったんだ!』
と言い

ポケットから

一枚の写真を取り出した


セピア色の

写真


そこには

公園のベンチに腰掛け
楽しそうに笑っている


彼と とても幼いおねぇと私が写っていた


今年の春

彼は
白血病で この世を去った


訳があって

新庄に住んでいた頃の

私達の写真が一枚も残ってはいなかった…

たぶん 彼は
その事を知っていたのだろう

たった一枚の写真

私の宝物…

まさきさん
ありがとう。

ずっと忘れないよ…

やすらかに…





















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