私の記事を読む前に

絵本読み聞かせ講師の上甲知子さんの

こちらのブログと動画を是非

見てほしいです。


というかこちらを見る気のない人は

私のこのブログは読まなくていいです。

動画見てほしいです。






どんどこももんちゃん」の
が、と、は、について動画を見ました。
おおお!と,興奮したまま

第12回、絵本の会で
「どんどこももんちゃん」を読みました。
初めて読みました。ドキドキ。


下記のタイトルですびっくりマーク
【日本語は省略の言語文化】


神奈川で絵本講師をしているとんちゃん

上甲知子さん
という方がいまして、
私が大好きな方なんですがね、と
落語のように前置きの紹介から
こんなお話をされていたんです。と、
が、と、は、の事を話したんです。

そしたら参加者さんのお一人が
「その違和感は読んでもらって気付きました。」
と,いうんです。
おお、、が、

変わったのに気づいたらしいのです。
変わったのはなんでだろう?
と、考えたそうです。

おお!!!!

さすが!です☺️



その方の解釈は
未知、既知ではなく、
クマに立ち向かって辛くても
それでもももんちゃん

の、、だと思いました。
という事でした。
だがしかし、ももんちゃん
というだがしかしを略している。
それでもももんちゃん
の、


…私の言語化が乏しすぎて、

伝わってますでしょうか。


私はそうゆう解釈もあるのかぁ!
と、感動したのですが、
それを聞いて
とんちゃんの解釈と共通しているなぁ
と思ったのは
日本語は省略の言語だなぁ、と
感じました。

1月28日放送の「チコちゃんに叱られる」で
「こんにちは」って、なに?
という問いがありました。

「今日は、ご機嫌いかがでしょうか」
の略だそうです。
「さようなら」も

例えば、
「今とても楽しいけれど、夜になってしまうといけないから左様ならば、わかれましょう、また明日」
という接続詞が略されて
「さようなら」の挨拶になったそうです。
接続詞が挨拶になっているというのは
非常に珍しいそうです。

日本人ってなんでも,略するの
好きですよね。

私もそーいえば昔、
夏目漱石の「吾輩は猫である」の講義を
受けた時に学んだ事を思い出しました。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

句点でリズム良く始まる冒頭。
句点で終わっている文章だけど、
本当は全てに「吾輩は」という主語が入る。

それを省略している文章である、
と聞いたのを今でも覚えています。

これに、

とんちゃんの未知なのか既知なのか
プラスして考えると
この「吾輩」の横柄な性格を考えると
(もう吾輩のことを知っているだろうけど、)
と、なにやら偉そうな物言いが
伝わってくる。

書いてないけど、
我々日本人は省略された行間を読むのだ。
日本人らしいな、
と思いました。

近代文学よりさらに遡ると

和歌も決まった数に

言いたい事をおさめる、

というのも、

日本人らしい遊び心のあるものですよね。


はるか昔から

脈絡と日本人が受け継いできた
遺伝子レベルの無意識な言語取得。

言葉遊び。

自分を伝えるための言葉。

相手を知るための言葉。


そしてそれが、現代の今、

もう
「どんどこももんちゃん」
赤ちゃん絵本からすでに始まってるんですね。


、と、、の使い方。



まさか

まさか。

「どんどこももんちゃん」で
こんなに深く考察する日が来るとは。

これだから

絵本はやめられないです泣き笑い飛び出すハート


赤ちゃん絵本だからと

侮るなかれ。


これだから

絵本って面白い!!!!!