川崎病だったこと。 | おきらくにっき

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こんにちは。nemoです。のんびりと、いろんな事を書いていけたらな~と思ってます。結婚10年目にして生まれた一卵性の双子のことや、ディズニーや浦和レッズのことなどなど。たまにひとりごとも。三井ホームの我が家のことも載せていこうと思います。

怖かった一年がやっと過ぎました。

去年の6月。
ゆうは肺炎と言われ3つの病院で数名の医者に診てもらったが、
あんなに白血球の数値高かったのに、
母の私が何度も聞いたのに、
川崎病だと 誰も診断出来ませんでした。

実は双子のもう一人のしゅんが1歳の時に罹った病気なんです。
その時から私にとって怖い嫌な病名。
だから ゆうの 普通の風邪や肺炎では??な数値に、
「川崎病ではないですか?」
何度も、何人の先生に尋ねました。

でもわからなかった。。。

それは、この病気がまだ歴史が浅く解明されていない為、
幾つかの項目で当てはまる数で、そうじゃないかなーという
曖昧な感じで決まる病名だから。

しかも年齢が上がるとその所見も見分けが難しいとか?

ゆうは しゅんの時にでたBCG痕が赤くならなかった。
高熱も出なかった。38手前くらい。
 
でも私はずっと疑っていた。
それは、母親の勘?

だからプレドニンで熱が下がったあとも、注意深く手足の指先を観察していた。

嫌な予感が的中してしまった。
熱が下がって一週間くらい経ってからだったかな?
手の指先が剥けてきて・・・。
かかりつけ医を受診。で、先生は心臓のエコーを診る。

川崎病の後遺症特有の心臓にある冠動脈に瘤が出来てしまっていた。。。

それからは、
ゆうへの申し訳ない気持ち いっぱいで
もっと他に方法があったのでは?と後悔ばかりで
川崎病じゃない?と思ったのに
きちんと伝えきれなかった無力を感じ

これほどまで
時間を巻き戻したいって思ったことはなかった。

私が母親だったばっかりに
ゆうに つらいおもい させて ごめんなさい って

 
そのあと大学病院へ入院。(ゆうは遠いお医者さんという)
ワーファリンとパイアスピリンを服用して瘤が小さくなるのを様子みることに。

ワーファリンは ゆうが大好きな納豆が食べられません。
でも、1年間彼は我慢しました。
幼稚園の給食でお友達が食べてても自分はふりかけにしてもらって。
その日は帰宅すると「すごく食べたかったよ」と「でも我慢したよ」と。
家では しゅんも 他の家族も納豆は食べませんでした。
しゅんが「ゆうが食べたくなっちゃうから。かわいそうでしょ」と。

そうやって1年。。。

瘤は正常に近くなったようで、
服薬はバイアスピリンだけになりました。
これからは冠動脈が狭窄しないように注意しながら検査して様子みるそうです。

先日、納豆解禁になり
病院の帰りに早速納豆巻きをコンビニで購入したときの ゆうの笑顔!
「診察でお昼すぎちゃってお腹空いたでしょ。車の中で食べていいよ」という私に、
「帰って しゅんと一緒に食べたいの。もう我慢しなくていいよって言うの」と ゆう。

この病気を検索すると色々な経過の方々がいます。
きっとその中では経過は良いほうなのかもしれませんが、
どんな病気でも、当事者とその家族にとっては辛い嫌なこと。
これからも心配は尽きないけど、すこし前へ進んだ気がしたので
記録する気持ちになりました。

ゆうへ 一年間苦い薬を毎日のんで
大好きな納豆我慢して がんばったね!
しゅんへ 一緒に頑張る優しい気持ちをありがとう!
どうか どうか 二人がおじいちゃんになるまで元気にすごせますように・・・。