父さんがたくさん取ってきたカニ。(その記事はこちら


それをお義姉さんのご主人に、いつものように料理してとお願いしたら、こころよくOKしてくれてザリガニもたくさん用意して待っていてくれました。





ザリガニ.......。






飼うのではなく、この辺ではみんな、ザリガニを食べます。


ストアーに行くと、大きな網の袋に入った生きているザリガニが、普通に売られています。



普通のクーラーボックスの2倍くらいある大きなものに、たくさん入っていました。これで40~50ドルだそうです。

テキサス de  YOYO!-ザリガニ1
                       うじゃうじゃ.......




何度も水をとりかえてよく洗います。





立ち上がってハサミを振り上げている威勢のいいのを見つけました。


テキサス de  YOYO!-ザリガニ3






もっと近くで見るとこんな感じです。


テキサス de  YOYO!-ザリガニ2





味付けはケイジャン風。(ケイジャンについてはこちら  )

市販のシーズニングを大きなポットに入れるだけ。
目分量でザーッとシーズニングを入れていたので、分量やレシピは聞かないでください。(笑)


テキサス de  YOYO!-ザリガニ4
       ザリガニ、カニ、エビを茹でるためのシーズニングとチリペッパー






この大きなポットにシーズニングを入れてぐつぐつ煮ます。


テキサス de  YOYO!-ザリガニ5
           これは父さんが取ってきたカニを煮ています



5~6回に分けて茹で、やっと茹で終わりました。




40~50センチもある大きなトレイにのせていただきます。

ザリガニ、カニ、とうもろこし、ジャガイモ、右端にあるのは鹿のソーセージ。

このあたりでは鹿の肉もよく食べられています。


テキサス de  YOYO!-ザリガニ6
                    これは一人分です



けっこう香辛料が効いていて辛いです。

味は少し泥臭いですが、6年もここに住んでいると慣れてしまいました。

けっきょく全部食べました。






ケイジャンと呼ばれている人たち(父さんの先祖もケイジャンです)が、強制追放されルイジアナに移住してきた時、とても貧しかったため、ザリガニやカエルなどを食料の一部として食べていました。それがケイジャン料理として残っています。

昔の移民団や開拓者たちの話を聞くとき、人間は試練の時信じられないくらいの力を発揮し、たくましく強められていくんだなと感じます。



私も含めて、今多くの人が試練と向き合い克服するために頑張っていると思う。
私たちにも昔の人たちと同じような力が備わっている。
頑張っていれば必ず出口は見つかるし、ドアが開かれる。

そして試練を克服した時、私たちは強められて、今までよりもっと人の気持ちがわかったり、人にやさしくなれたり、もっと深い愛を持って人に接することができるようになる。



先日、父さんが弟と一緒に、子供たちを連れてカニを取りに行ってきました。

エサは鶏の手羽。



“母さんはカニが大好きだから”と、父さんは頑張ってこんなにたくさん取ってきました。

大漁!大漁!


テキサス de  YOYO!-カニ1


この辺で取れるのは、ブルークラブと言われているカニです。



脱皮直後のこのカニは、ソフトシェルクラブと呼ばれているそうです。

(もっとソフトシェルクラブについて知りたい方はこちら

父さんが取ってきたのは、脱皮直後ではないので、普通の硬いカニでした。




さっそく、大きめのものを選んでゆでることにしました。


テキサス de  YOYO!-カニ2
            うちで一番大きなパスタ鍋に入れて........



この写真じゃわからないけれど、とても元気がよくて鍋に入れるのも大変。

それに、指まで挟まれてしまいました。

けっこう痛かった....。




そして、茹で上がりました。


テキサス de  YOYO!-カニ3


あまり身が詰まっていなく、水っぽい感じでした。

ちょっと臭みもありました。



それでもやっぱりカニはカニ。

酢醤油にワサビを入れて、おいしくいただきました。



子供たちも楽しい時間を過ごしたようです。

父さんありがとう!


残りのたくさんのカニは、明日お義姉さんのご主人が、ケイジャンスタイルで料理してくれることになりました。

その記事はまた後日........。


17年前の今日(313)、私にとって大切な出会いがありました。
永遠の友達との出会いでした。


お互いを知っていくうちに、特別な何かを感じたのを覚えています。
その大切な友達とは、私にブログを勧めてくれた、さりすけちゃん。
彼女はパワフルでおもしろく、そしてとても愛の深い人です。






先日、さりすけちゃんの息子、健ちゃんが突然亡くなりました。
その大きな試練の中、彼女はブログの記事を更新し続けてくれました。
彼女の心の叫びのような記事によって、逆に励ましや勇気、そして大切なことをたくさん学びました。



健ちゃんが亡くなった時の記事はこちら







10年以上も前に、“真の友”という詩を誰かにいただきました。(作者は誰かわかりません)


私にとって彼女はそのような友達なのです。


さりすけちゃん、いつもありがとうね。





    真の友


真の友とは、死の床にふしているときにそばにいてもらいたい人である。
真の友とは、また、元気でいるときにも共にいたい人である。
真の友とは、問題があるときに自然に相談をもちかけたくなる人である。
真の友とは、よい知らせを聞いていちばん先に喜んでくれる人である。
真の友とは、問題が解決したときにいちばん先に報告したい人である。
真の友とは、他の人には打ち明けたくないことも打ち明けたくなる人である。
  しかし、それでいて私の心の秘密を詮索しようとしない人である。
真の友とは、心が痛む時に頼りにしたい人である。
  しかし、頼りにしてもそれを利用しようとしない人である。
真の友とは、倒れ伏しているときに、横でひざをかがめてくれる人である。
  しかし、元気に立ち上がった時には、横でひざをかがめた事など忘れて

  いる人である。
真の友とは、悲しいときにすがって泣ける肩をもっている人である。
  しかし、うれしいときには、いっしょに、おもいっきり笑ってくれる人であ

  る。
真の友とは、苦しんでいるときに、彼のほおにも幾筋かの涙の軌跡が見える人である。
  しかし、喜んでいるときに、その目にキラッと輝く星の見える人である。
真の友とは、慰めの言葉に痛みの震えのある人である。
  しかし、共に喜ぶ声にはメロディーのある人である。
真の友とは、長所をよくほめてくれる人である。
  しかし、欠点もよく忍んでくれる人である。
真の友とは、たとえ失敗しても少しも軽蔑の色を示さない人である。
  しかし、失敗をくり返さないように助言を忘れない人である。
真の友とは、成果をあげたときには誇りに思ってくれる人である。
  しかし、失敗に終わっても恥に思わないでいてくれる人である。    
真の友とは、成功を助けてくれる人である。
  しかし、その助力を主張しようとしない人である。
真の友とは、喜ばせれば満足に感じてくれる人である。
  しかし、失望させてもけっして恨まない人である。
真の友とは、痛いことでも言ってくれる人である。
  しかし、痛いことを言われてもおこらない人である。
真の友とは、おりいっての頼みごとをきいてくれる人である。
  しかし、それをしてくれても恩きせがましさが全くない人である。
真の友とは、少しでも人の重荷を軽くしようとして助けの手をのべる人である。
  しかし、それをさせてもらったことを特権としか感じない人である。
真の友とは、もてるものを与えつくす人である。
  しかし、何を与えたか記録など特っていない人である。
真の友とは、全ての人に最悪のことを言われているときにも、最善のことを言ってくれる人である。


  すべての人は、こんな真の友を少なくも四人はもつ必要がある。

  そして、少なくも四人の人に対してこんな真の友になる必要がある。

  ああ神よ、わたしをこのような真の友になさせたまえ。