先日山行きする会での飲み会を新宿で行った。津軽塗りは、会津から伝わったという話をする御仁が出て、それは嘘。

会津藩は幕末京都守護職のちの大政奉還に至るプロセスで朝敵とみなされて挙句の果てには、今のむつ市あたりに斗南藩として移住したが、不毛の地として立ち行かなくなった頃、廃藩置県で弘前藩と合併して青森県となっている。

その御仁によるとその弘前との交流により津軽塗りがもたらされたというもの。


確かに会津塗りの方が歴史が古いとあるが、津軽塗りもその頃には確立されている。弘前周辺で生産される津軽塗りだが、もともと若狭の国小浜市出身の池田源兵衛、源太郎親子の創始と言われている。あのバラク・オバマの馬鹿騒ぎで有名な小浜市である。


馬鹿塗りと言われる塗っては研ぎ、塗っては研ぎする手法は、モチーフとして各地にあった。但し塗りの回数は格段に少ないらしい、会津塗り、それこそ若狭塗りも似たようなアメーバ状の文様を研ぎだす唐ぬりは見られ、似た文様がある為の誤解と思う。 今日各地のの温泉宿にあるテーブルは、近年プリント技術からのまがい物か、それこそ本当の塗り物の津軽塗りだったり、会津塗りだと思える。


なんでも小浜市は、オバマ大統領に若狭塗りを送ったらしいが、父の仕事だった津軽塗りがそんなところでつながりがあったという事は調べて解った。その御仁の嘘八百に感謝しなければならないと思った。


津軽塗りだが、幕末以前例の島津藩主が江戸の津軽藩邸を訪れていたく気に入り、注文したともある。

本来の津軽塗り、木地に布や和紙を着せて漆ととの粉、米糊の混合物で下地を造り剛性を高めた造りは、耐久性にすぐれ、他の地方の見た目重視の塗りが薄い塗り物のとは、一線を画すものである。


漆の塗り、蒔きが薄い木地が透けて見えそうなものも塗り物であるが、津軽塗りにはありません。柄の一部として箸の部分に津軽塗りの唐文様に似たものが施されているといって味噌糞一緒されては困るのである。