早く僕らのツアーは、ベニスを目指す。はしけに乗る為に、ラグーナに伸びる道をバスは走っている。

そのラグーナの風景は、僕が昔ニコンのカメラのカタログで視た風景。


それは、他のツアー客には解らない感傷。朝日を受けて、鈍い灰色の海は凄く美しいものだった。


はしけでベニスの本島の埠頭に着く。青い空、航空機の飛行機雲が見える。朝のゴンドラはたいした感傷もない。引き潮の時間、他のツアー客と供に過ごす。

サンマルコ広場の傍らのガラス工房で、実演販売のあと解散。


「嘆きの橋…ため息葉橋」中その昔、囚人たちが運河を眺め「ため息を付き、嘆いた」という。囚人がベニスの総督府のもと裁判をうける為に歩いた通路だ。


僕らはそれを行きと帰り歩いた。


広場で死んだ鳩をつつく他の鳩をぼんやり眺めていると小さな女の子を見た。

彼女は指を加え、その死んだ鳩にのしかかる馬鹿な鳩を追い払うのにやっきになる。


こんな小さな娘でも、してはならない事だという事を解っている。

母親に呼び止められて行ってしまった。


朝アレだけツアー客でごったがえしたサンマルコ広場も昼下がり、閑散としてしていた。

寂しい風景だった。


僕が始めてイタリアを訪ねたのは、三年前の六月だった。


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ため息橋出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ヴェネツィアのため息橋ため息橋(ためいきばし、伊:Ponte dei Sospiri)とは、16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つである。白の大理石で造られたこの橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられている。Rio di Palazzoを渡り、ドゥカーレ宮殿の尋問室と古い牢獄とを結んでいる。ため息橋からの眺めは囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色であった。ため息橋という名前は、独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのは最後であるというので囚人がため息をつくというところから、 19世紀にジョージ・バイロンが名づけたものである。実際には、厳しい取調べや略式の刑執行は橋が建設された頃には無くなっており、宮殿の屋根の下の独房も専ら短期刑の囚人のものであった。[1] 地元の言い伝えによれば、恋人同士がこの橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると永遠の愛が約束されるのだという。 「嘆きの橋」…は僕の記憶違い。「ため息橋」が正しいようだ。