「みんな…◯◯…だよ」
「みんな…同じなんだよ…」
「みんな…大変なんだよ…」
「みんな…苦労を抱えているんだよ…」
「みんな…頑張っているんだよ…」
という言葉をかけられると…
具合が悪くなる…
いやいや…違うでしょう!と思う…
みんな…生まれ持ったスペックも…環境も…状況も違うでしょう…
そこにそれぞれの複雑な人間関係が絡み合ってくるし…
情の深さや思い出や記憶もそれぞれ違う…
それぞれ…心の痛みが違う…
世の中は不公平…
人の時間と労働を搾取して生きている人もいる…
時間や労働を搾取されている人もいる…
自由気ままに生きられている人もいる…
たとえば…ひとりの生活で孤独を感じている人と…
家族の生活で孤独を感じている人との
孤独の色は…
違う…
その時の状況で…悲しみも違ってくる…
体力…
知力…
そして…
運…
キリが無い…
同じことなんて…何ひとつない…
比べることなんて出来ないし…
同じなんてありえない…
私の人生を振り返ってみても…大変な時もあったし…楽な時もあった…
今と…数年前、数十年前の状態とは全く違います…
自死寸前までの辛い時もあったし…
幸せを感じていた時もありました…
わがままに生きていた時代もあったし…
泣きながら休みなく奴隷のように働いていた時もありました…
今は自由になったのに心は悲しみと苦しさに縛られている…
同じ人間でも…頑張るエネルギーの消費量が…その時々の状況で雲泥の差があるのに…
100%エネルギーを使いきっている人にも…その言葉で呪いをかけてきます。
何を持って…みんな…なのか私には分かりません…
言っている人は…励ましているつもりなのでしょうが…
弱っている者にとっては…これほど傷めつけられる言葉はありません…
『私は頑張っていないのか…』
『苦しい時に苦しんではいけないのか…』
『私の悲しみは…何なのだろう?』
と思ってしまう…
そして…さらに…また…
残酷な言葉をかけられるのです…
「世の中はあなたより…もっと大変な思いをしている人がたくさんいるよ…」
う〜ん…(世の中過酷な人生の人がいるのは私だって知ってます…)
だけど…
夫を亡くして…打ち拉がれてる今の私にかける言葉なのかな…って…
その度に落ち込む
それは…最後にわずかに残っている生きる気力さえも失ってしまう程のキツい言葉です…
そんな…ボロボロの状態なのに…
それなのに…
私の口からでる言葉は…
『そうだね…みんな大変なんだよね…くよくよしてられないよね…頑張らないとね…ありがとう…』
こんな状態の時も
自分の感情を捨てて…
明るくヘラヘラと相手の求める答えを言ってしまう…
結果…矮小化されてしまった私の苦しみが気の毒で…
心の中は艱難辛苦パニック
自分自身の言葉で…致命傷を負う…
いちばんのグリーフケアは…
会話しないこと…??