愚痴ブログです。
とらちゃんの子供たち
お盆に連絡があったのは結局のところ息子④だけ
「引き取りたい」と言っていた物について
連絡していた息子①からは返事もない
とらちゃんが亡くなった最初から私の中には不満が積もっていた。
それでもわたし一人じゃ何もできないし、とらちゃんが自分に何かあったときには
わたしを助けるように子ども達に言っていたのも知っていた。
がんばってくれたとは思っている。でもね。でもねと思ってしまう。
お通夜の夜
棺を叩いてみたり、揺らしてみたり
写真を撮ったりワイワイがやがや
そんなところに
普段着でワイワイとやって来たのは
2番目の妻の姉夫婦家族
故人を偲ぶというよりは
ご近所話で煩いほどに盛り上がっていた
せめてもの救いはお花を供えてくれた事か
私は喪主にはならなかった。
お葬式代は自分らが払うと言う
とらちゃんの子供たちに任せたから。
最後のお別れの時も棺の周りを取り囲みワイワイがやがや
まるでお祭り騒ぎ。
会館の方も苦笑いしてしまうほどに。
私がとらちゃんの側に寄れたのは一瞬
それもとらちゃんの妹さんが
「かぼちゃんにも最後のお別れさせてやらんね」と
声を掛けてくれたから。
妹さんに「かあちゃんのそばに置いておくお骨を少し分けて欲しい」と言われて、
それは嬉しくて「連れて行ってください」と言ったけれど、
子供たちまでそれぞれにお骨を選びワイワイがやがや。
係員のおじさんまでにぎやかな事で。
今まで3回、お骨を拾うという経験をしたけれど
とても厳かだったから、かなりショックだった。
四十九日の時にはまるでお客さんの子ども達、
始まるギリギリに手ぶらでやって来て
そして相変わらずワイワイがやがや。
なんだかモヤモヤして
記憶の奥に仕舞い込んでいた不満が
沸々と湧き上がり、とらちゃんの遺影に
『とらちゃんの子どもはどんな教育されとるの?』と
愚痴ってしまった。
とらちゃん。
大阪から引越したらもう連絡を取るつもりはないよ。
会いたいなら自分で行っておいで。