かつての私は、自分の意見をなかなか言えるタイプてはありませんでした。





そして、


自分は我慢すべきだと思っていたし、


人は、そう思っていて周りに気を使っていることを察してくれるはずだ、と思っていたし、


自分の生き方になんとなくいつも不安を感じていたし、


他者の方が全てに於いて優れていると思っていたし、


他者は私より優先されるべきだと思っていました。



とても不自由さを感じていました。





でも、それではいけない、

自分を自分で信じないで愛さないで、

私が永遠に救われることがないじゃないか!




ということで、


毎日のようにいろいろ試しては、

内なる批判家が毎日頭で私を批判し、

お腹の中が苦しくなり、

そんな自分を許そうとしては、

そんなことばかり考えていることがまただめだ、と


周りを気にして自分のことを監視して生きる毎日です。



でも、たまに自分の意見を臆することなく伝えられたとき、

アサーティブでいられたときは、

心が軽くなり、本当に自由を感じました。



今日は、そんなこんなで、

会社の上司に意見をぶつけました。

業務内における認識の乖離が発生していたからです。




もはや言い合いになっていたと思います。





最終的には、丸く収まりました。(そのように見えていますが、相手のことはよくわかりません。)





また内なる批判家が私を責めています。


『お前はなんて我が強いんだ』と。


今日は、そんな私を許そうと頭はしているけれど、

心がついて行かず、吐き気がします。


でも、きっとそれで良いのです。


変わろうと努力しているから、苦しいのかもしれません。





きっと蛹のなかで藻掻いているときは、

形を変えようとそれ相当な苦労や痛みを伴うのだと、

考えたことがあります。



そうそう、蛹になる前は、

どこで蛹化したら良いか場所を探す『ワンダリング』と

いう行動がありますね。



彷徨い歩いたワンダリングの後に蛹化する。



苦しいのも当然だと、今日は今の状態が蛹だと、

信じることにしようと思います。





先日、回るお寿司屋なのに、

皿が回ってこないお寿司屋さんにひさびさ行きました。


5歳キックがこればっかり食べるんです。

値段を見ないで注文したけど、

何故か金のお皿だ・・・おかしいな・・・


ねぎとろの細巻かと思っていたら、違いました。


そりゃ美味しいわけだ。



『先ず獣身を成してしこうじて後に人心を養う』ためだ、

仕方ない。諭吉よ、こんにちは、さようなら。