日本の歴史の教育にちょっと革命起こしたいんよ
高校一年生の一年間、歴史の授業は面白くなかった。学んだのは年号と人物と無駄に長い条約名。いつもはまあまあちゃんとやるテストも、歴史に限っては勉強する気も起きなかったし、テストの点数も別に気にならなかった。それぐらい自分にとって「日本史A」は意味のないつまらない勉強だったのだ。(内申点は正直気にはなったが。)現在を生きていて、「今」が大事とよく言われるのに、なぜ先祖でもない大隈重信が何年に何を成し遂げたかを知らなければならないのか。誰しもが一度は考えたことがあるのではないだろうか。計算機があるのになぜ数学を学ぶのか。それと同じ感じだ。だから気になって、ググってみた。日本の高校生代表として。日本に住む私たち高校生が歴史を学ぶ目的として 社会的事象の歴史的な見方・考え方を働かせ,課題を追究したり解決したりする活動を通して,広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を次のとおり育成することを目指す。 (文部科学省, 2018)ことであると、文部科学省高等学校学習指導要領に記されていた。うん、とても格式ばった書き方だし、その割には漠然として不明確な部分が多い。歴史的な見方・考え方って?課題ってなんの?全然具体的じゃない。果たしてこれらがただ年号と人物と無駄に長い条約名を教わる授業で達成されるのだろうか。平和や民主的な国家を形成するために必要な資質・能力の育成ってそもそも何?というかそれが歴史を学ぶ目的?元々どの学問も最終的には人間の本質を知るためのものだと聞いたことがある。それならば歴史を学ぶ真の目的は他にもっとあるはずではなかろうか。こんな格式ばった言葉で飾られた目的よりも。そんな疑問に満ちた歴史の授業へのイメージは、高校2年から3年にかけて受講した国際バカロレア (International Baccalaureate) のディプロマプログラムで大きく変わった。まず変わったのは「歴史」のとらえ方。1945年8月、広島・長崎に原子爆弾が投下されたことは史実であり、歴史ではなかった。原爆がなぜ投下され、どのような影響を諸国に与えたのかを考えて、根拠をもとに主張して、議論して、初めて「歴史」になるのだ。つまり歴史とは、高校一年の頃に頭に詰め込んだ過去の出来事たちを指す言葉ではなく、過去を「学ぶ」学問なのである。史料に対する考え方も変わった。高校一年生の素直な心には、歴史の教科書に掲載された史実や前後の関連は事実として映った。しかし、それらがすべて誰かの解釈であると気づいたのはIBを始めて間もないころだ。史料もすべて、どんな根拠を使うかで「根拠に基づいた主張」なんて簡単に変えられる。ある史実をとって考察すれば、ある国に戦争の責任を押し付けられるかもしれないことも、別の史実を選べば別の国に責任があるように見えるかもしれない。教科書もその一環で、あくまでも日本が公式で認定している一つの解釈にすぎないのだと気づいたのだった。だからブログを書くことにした。わざわざインスタ・ツイッター世代のJKが。動く絵文字を使いながら。この2年間であった気づきを多くの人に伝えたい。本来なら誰しもが知るべきことだから。「過去を学ぶ」という歴史の授業の本来あるべき姿、そして歴史を学ぶことの意味や重要さを発信したい。日本の歴史の教育を変えていく必要があると強く感じるから。そのために、このブログでは日本の歴史の授業で詰め込まれるような事とは違った、もっと面白い観点から歴史を見ていこうと思う。