<洗濯物の為なのに                                   未練たらたら >

道の駅ましこの裏と横

 投稿日時2016/10/23(日) 午前 5:46  書庫益子町  カテゴリー栃木県


はい。裏と言っても、あんな噂、こんな噂の話ではありません。
正真正銘、建物の裏側の話です。

先週オープンした道の駅ましこですが、建物裏はまだ舗装工事が終わっていません。



陶器市までにはここも舗装されて駐車場が広くなるかな?
無理だろうな~。

と、思ったのですが、よく見ると完成駐車場との間は乗り入れ口になっていますね。

更にその砂利場の真ん中あたりには



なんか歩道みたいにコンクリ舗装されています。

あれ?

そこで、例の図面を見てみたら、



ここは芝生を植えた多目的広場になるはずなんですね。
間に合わなかったのかな?
それとも植え付け適期まで待つ?
いずれにせよ子供広場は後回しという事の様ですね。

おそらく池になるであろう部分もまだこんな感じ



完成したら水はどうするのかな?
循環かな?
どうせポンプ回すんだったらちょいと井戸を掘って小貝川の伏流水を流せばいいのにな。
んで、蛍でも飼って名物に。

ところで、図面には多目的広場の駐車場に面した所には何やら四角い物が書かれています(多目的広場の多の字の下)。
これはなんでしょう。ポンプ小屋かな?
で、現物は。



桜の木でした。

しかし、妙な具合ですね。
なぜこんな低い位置に?

実は道の駅工事中はこんな感じでした。



この桜はそもそも工事が始まるずっと以前、まだ周りが田んぼだった頃からあったのです。
水がたまっている高さが田んぼと思っていただくと解りやすいかな。
桜の向こうの白いラインはここに流れている用水を暗渠化する為のコンクリの蓋で、オレンジネットに囲われてにょっきり立っているのがマンホール。このてっぺんが多目的広場の土地の高さです。



何やら高札が建っていますが、字が消えてしまっていて、この桜がなんなのか解りません。
が、このコンクリで固められた姿や高札などは以前のままですね。
この部分だけ土地の買収が出来なかったのか、それとも手を触れないようにしたのか。

さて、ここで益子の民話をひとつ。

昔々、田野の里にはお城がありました。
が、敵に攻められあえなく落城、奥方とお姫様はなんとか城を脱出したものの、そのかいも無く捕まってしまい……。
その母と娘が亡くなった所に塚を作り姫塚と名付けて供養したのですが、そこに近づくと……。

さて、話は現代に戻って、道の駅の横の話。

道の駅ましこの正面には栃木県道257号線が通っていますが、本来は益子と岩瀬を結ぶ栃木県道41号線のバイパス部分に作るというものでした。

その道は別名「田野高速」と呼ばれる農道に沿っています。

道の駅はこの農道の真上につくられました。



そして無くなった農道の代わりに400mくらい県道41号線バイパスの新設を行ったのです。



なので完成したわずかな区間は県道41号線のはずなんですが、



それを示すものはありませんね。
なお、この新設区間には道の駅部分を除いて歩道はありません。並行して作られた側道がその役割を果たしています。



道の駅前の歩道も少し先で側道へと降りるようになっています。



その側道には何やら車がいっぱい停まっています。
道の駅関係者でしょうか。
もう一つある車の列の所が元田野高速。
道の駅の敷地前までは残っています。



この部分は農道として今後も生き残るのかな?
高速時代の名残が今も頑張っています。



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