<たまには鉄ネタもやらないと 密巴 >
おーい、山田君。ジロモンさんに3枚
何となくなんだけど、東武鉄道の駅名はちょっと他の鉄道とは雰囲気の違う物が多いんじゃないかな、と思います。
駅というよりバス停という感じかな。
その中でも代表格に感じるのが桐生線の「じろもんばし」駅。
所は群馬県太田市成塚町。そう遠くは無いし、面白そうだからちょいと行ってみますか。
てな訳で太田駅から約10分、運賃170円の「じろもんばし」に到着。
え!?
じろえんばし
誤植?
いやいや
でもそうは読めないよねー。
治良門橋駅は大正2年の開業ですが、ここにはそれ以前から藪塚石材軌道→太田軽便鉄道という路線があって、東武桐生線はそれを買収した物。もしかすると駅ももっと古いのかな?
駅舎の
隣には開通記念碑があって
それには大正2年3月19日とあります。
そして、その駅名となった橋が近くにあるそうなので行ってみましょう。
駅前から元は川だったのかなー、という感じのクネ細道を進む事少し。結構交通量がある県道39号線を渡ればすぐに治良門橋。
かと思いきや、その橋の名は
治良右衛門橋。
あっ、本来の表記はこれで、読み方がジロエンなんだな。
じろうゑもんばし
治良右衛門橋は太田と大間々を結ぶ今で言う所の群馬県道78号線に掛る橋。
しかし度々流失していたので、それを見かねた天笠治良右衛門が石橋に掛け替えてから流失する事はなくなった、という事で治良右衛門橋。
う~ん。この橋は昭和52年の河川改修で掛け替えられているからその時に読み方違っちゃったのかなー。
それとも天笠治良右衛門さんはこの橋のみならず、この近辺でいくつもの石橋をかけていたそうですから、そもそもはこの橋じゃないのかな?
あっ、橋のたもとに記念碑があるな。
橋の由来ではなくて、明治24年に掛け替えられた事の記念か。
名前違うし。「次郎」さんじゃん。
天笠次郎右衛門さんというのは戦国末から江戸にかけての人で、新田一族の金山城主由良国繁の家臣でした。
でも1590年にお城が攻め滅ぼされたのでこの辺りで農民となったみたいです。
とは言っても元はそこそこのお偉い武士。財や名はあったのでしょうね。
土着した所のお寺に土地建物や梵鐘を寄進したり、石橋を掛けまくっていたのです。
やがて石橋によって交通の便が良くなり付近に宿場も出来て大賑わい。
という訳で「川(土地)を良く治めた」という事で次郎さんが治良さんになったのでしょうね。
本人がそうしたか、自然と周りがそう呼んだのかは知りませんが、たぶんそんなところでしょう。
で人々はその宿場を土地の名前(成塚・寺井)ではなく治良右衛門橋宿とか石橋宿とか呼んだみたいです。
ちなみに初代治良右門橋は1617年の架橋らしいです。(寺、梵鐘は1627年?)
また、石橋という橋はすぐお隣、県道78号線にありますし、県道39号線との交差点は石橋交差点。
となると、この橋が駅名の由来になった治良門橋であるというのはどうも怪しい。
現街道の県道78号線は新道という感じだから、旧街道はこの橋の先代か先々代で川を渡っていたのでしょう。
だからこの橋の名が治良右衛門橋でいいとは思うんだけど、掛け替え記念石碑には治良右衛門橋という名が見当たらないんですよね。(漢字ばっかりだし老眼近視だから見落としているかもしれないけど)
つまり、400年前に多くの石橋が掛けられた頃はあれもこれも治良右衛門さんが掛けた治良右衛門橋だったのに後にこの橋の名に固定されたのでしょうね。
で、あれもこれもが治良右衛門橋だった頃に治良右衛門橋だったのがこの地にできた宿場、治良右衛門橋宿。
ただ「じろうえもんばし」という名前は普段使いにはちょっと大変だったのでしょう。
次第に呼び名は簡略化されて「じろえんばし」。
そして大正2年(1913年)開業の駅名も橋の名前ではなく、宿場の名前からなのではないでしょうか。
ただ駅名漢字表記は
「なんか呼び方がなまってジロエンバシになってます。ですから漢字表記も何文字か抜いておいた方がいいのではないでしょうか。」
「治良右衛門橋か……、いいや真ん中ふた文字抜いてしまえ。」
てなところ?
てな事を考えながら橋の上でぼけっとしていたら、川を「りょうもう号」が渡って行きました。
川の名は蛇川。少し上流に「ジャパンスネークセンター」があります。
この辺りは30分毎に電車が通りますが、半分は「りょうもう号」。つまり普通電車は1時間に1本。
1時間は長すぎるなーと思っていたけど、なんやかんやで中途半端に時間切れ。
宿場の雰囲気が残っているかどうかどうかまで手を出せずに治良門橋を後にします。
文章も中途半端に長くなってしまったので
「ジロモンさんに3枚 その2」へ続けます。
(こう書いたら続きはもう見えた様なものですね)
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