おらが町の日本橋。
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ちょい前、真岡の猫カフェの時にご紹介した真岡市田町北交差点。
今でこそ綺麗でマンホールがこんなんだったり、
街灯も糸車を模した物だったりしますが、
ちょいちょい以前は(とは言ってもずいぶん前)もっとクチャッとしたものでした。
この道はかつては国道294号線でしたが、現在はバイパスにその座を譲って栃木県道47号線です。
この47号線の起点は田町北交差点のお隣、糸車の向こうに見える荒町交差点。この交差点は栃木県道46号線と257号線の終点でもあります。
そして田町北交差点自体も45号線の終点。
かようにこの辺りは真岡市における道路中心地。
なぜかと言えばそもそもはここが真岡の中心だったからで、役場や警察もここにあり、西側の高台はお城でした。
そして、その道路中心地である事を明確に示す、いや、示していた物があります。
上の画像で植え込みの中に見える白いもの。
これです。
読みにくいですが、「真岡町道路元標」とあります。
これは大正8年の旧道路法施行令の
・各市町村に道路元標を1つ置きなさい。
・道路元標の位置は、東京市は日本橋の中央、その他は府県知事が決めてね。
と、いう事により設置されたものです。
なので、道路元標は真岡市だけにあらず全国にいっぱいあるのです。
だって大正11年で、市は91、町が1,242、村が10,982、の計12,315ですからね。(言われた通りちゃんと設置していればですけど)
で、道路原票の役割はと言うと
・府県庁、師団司令部、鎮守府、市役所がある所では国道や府県道の起点終点を道路元標の位置にしなさい。
だったのですが、大正8年において栃木県には、府県庁―1(宇都宮市)、師団司令部―1(宇都宮市)、鎮守府―0(ある訳が無い 涙)、市役所―1(宇都宮市)、つまり169もあった市町村のうち確固たる役目があったのは宇都宮市1つだけで、その存在理由が無くなった昭和22年(現道路法施行)までにおいても足利、栃木、佐野、鹿沼の4市が増えているだけ。
だから現存している物はとても少ないです。
が、この辺りにはまだポツポツ残っていて、去年紹介した真岡市の高田には専修寺の鳥居の根元、「高田まち」と貼ってある電柱の裏側に物部村道路元標があります。
半分埋まっちゃってるけどね。
そして益子町にも。
場所は鹿島神社境内、横断歩道前。
境界柵の柱に似ているけど、それだけは少し奥にあって鉄棒がぶっ刺さっていません。
このあたりがかつての益子町の中心地で役場も近く(現益子保育園隣)にありました。
今はシャッター街どころか古い建物が取り壊されて歯抜け街になってしまっていますが、昔は映画館まであった繁華街。
ヨウカ楼という遊郭まであったほど賑わっていた場所なのでした。←未確認情報
コメント(2)
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昔はヨウカドウもありました、というオチかと思いました・・・ 2015/6/7(日) 午後 10:20 ![]() |
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> LUNさん う~む、ひねりが足りにかったですね。 イトウ商店なんてのも無かったしなー。 ダイマルは健在です。
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