jまずはこちらをご覧ください。



前回も登場した国土地理院地図、岩手県気仙沼群住田町世田米付近の地図です。

中央を通っているのが国道397号で姥石峠を種山トンネルでくぐっています。
そのトンネルの上に1本梯子の様な線が見えます。
これって前回引き籠りの時にさんざん追いかけたので、すごく気になっちゃうんですね。

たとえばこれ。



そう、廃線跡です。

でもこちらの線は山の稜線に延びています。廃線跡ではありませんね。
これは土堤。

──土堤(どてい)とは、土を小高くもって作られた水や風を防ぐ堤防や城の周りに敵の侵入を防ぐために設けた土の堤ことをいい、一般的には土手(どて)などといわれています。
地図では、高さが3m以上で、上の幅が5mよりせまくて、長さが75m以上のものをあらわしています。──国土地理院地図記号より


で、ズズイ~とたどって行くと宮沢賢治のイーハトーブを通って物見山(種山)を通って枝分かれしながら更に先へ。
これは 防火土塁ですね。(地図を見てみたい方はこちら⇒ )


じゃなんでこんな所に防火土塁があるんだ?と調べて行くと。
ふ~ん、かつてこの辺りは御料林だったのか。それを守るために防火土塁が作られたんじゃないかな。釜石線を挟んだ遠野の山にも御料林があったみたいだから。あっやっぱり。こっちにも土塁がある。お、こっちには森林鉄道があったんだ。その廃線跡が残ってる。ん?遠野駅の近くにも物見山があるぞ。遠野物語の物見山はこっちだな。小物見山なんてのもあるぞ。なんでこんなにあちこちに物見山が有るんだ?何が見えるんだ?あっ、耳切山というのがある。という事は御料林の盗伐を見張っていたのが物見山か。ウ~ム。国道397の旧道はこの防火土塁を横切っていたのだからバスの窓から見えていたはずなのに全く記憶にないぞ。知ってれば注意して見ていただろうに。くやし~い。

なんてやっているとバスで2時間だったところを半日かがり。ましてや、じゃ、もっと昔はどうだったんだ?私が通った道が出来る前は何処を通っていたんだ?なんてあちこちで明治時代までさかのぼっていた日にゃ。

いやー進まん進まん。