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ж 45 ж はらぺこあおむし

 投稿日時 2014/9/7(日) 午前 6:15  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 


 日曜日に生まれた青虫が、月曜日にはりんご1こ、火曜日には梨2こ、水曜日にはすもも3こ、木曜日にはいちご4こ、金曜日にはオレンジ5こ、土曜日にはなんやらいろいろ6こ、を食べてお腹をこわして、日曜日には葉っぱをたくさん食べて体調もよくなって太って、ついには綺麗な蝶になりました。
 エリック・カール作「はらぺこあおむし」より。 



 真岡鐡道でかつて走っていたモオカ63型レールバス。その小さな車体が夕暮れの田んぼの中を走って行く姿はまさに「ねこばす」。しかもご丁寧に乗客が2人なんて事もしばしば。
 ただ、大きく違う点と言えば、乗客を送り届けた後「ねこばす」は乗客無しになったその姿を消して走って行く事が出来るのに対して、真岡鐡道の「ねこばす」はそれが出来ずに空気だけを運んでいる姿をしっかり見られてしまう事である。
 それは回送列車ではない。車内灯を煌煌と点けた定期列車である。
 それを傍目で見ていて思う。「昨日は乗客1人で貸し切り状態だったが、今日は無人か。大丈夫か?真岡鐡道」
 と、今ではこれがありふれた風景になってしまっているが、かつての私にとっては列車がそのような状態で走っている事など全くの異次元の話であった。
 まだ幼き頃の神奈川県の片隅に住んでいた私が知る鉄道はいつも混んでいた。無論、鉄道を普段使いしていた訳ではないのでその知りたる範囲は日祝日や盆正月などの連休期間。なおかつ早朝、深夜を除く昼間であり、皆が出歩く時間での事である。
 その時間帯の混み具合は、空席があれば運がよい方で、大抵は乗車口脇に立つ、という感じであった。――吊革に手が届かないので自然と手すりのあるドア脇に立つ事になる。すると戸に手を挟まれたり、戸袋に腕を引きこまれたりする事故が起こる。東急の青ガエルと呼ばれた5000系はその丸い車体ゆえ、ドア下部が大きく内側へと入り込んでおり、その部分に足がかかっていると開く時足がすくわれたり、閉まる時挟まれたりしやすい構造であった。そこで、子供をドア近くに寄せ付けないためか、ドア窓が高い位置の小さいものになっている車両があった。後の真四角な車両ではそのような小窓車両は無くなったが、子供が腕を戸袋に引きこまれ、どうにも抜けず、車体を切断して救出する事故があって以来、ドアガラスの子供の目の高さいっぱいに注意シールが貼られ、外が見えない様になっていた。――
 かように電車とは常に混んでいるものとの認識があった。むろん混んでいると言っても座れるか座れないか程度の物ではあったが、時にはラッシュに近い混み方をしている時もあった。
 初めてそれを体験したのはいつの事だったかさっぱり記憶にない。しかし、その状況はありありと覚えている。
 南武線で立川方面へ向かっていた。その電車はほとんど満員状態で到着し、そこへ無理やり乗り込んだ。列車が各駅に停まる度に車両中ほどへと押し込まれていき、ついにはがっしりと固められて、背中に食い込むリュックが痛くて息をするのも辛い程になった。両親と弟が近くに居て、大丈夫か?の声は聞いたような気がする。見上げる周りの大人たちは皆小さな新聞と赤鉛筆を持っていた。
 盆、正月の両親への実家の帰省は、座れればラッキー、とのんびり構えて居られる物ではなかった。
 それは東北本線。乗車区間こそ上野~小山と短区間ではあるが、それでも一時間を超える。荷物も多い。なんとか席を確保しても座っているボックス席の付き合わせている膝の間にも人が入り込まざるを得ない混み方。
 夏の甲州の特急列車。かろうじて座席背もたれとデッキ壁の間のわずかなスペースで過ごした外すらろくに見えない時間。
 かように、私にとっては列車=混んでいるであった。
 その=が初めて打ち消されたのは常に混んでいるの最高知であった東北本線である。それも夏の帰省。繁忙期真っただ中だある。
 なぜそうなったのかは全く記憶にない。京浜東北線を使ったのか、始めから赤羽線を利用したのか。とにかく上野から東北本線に乗れない事にひどく落胆した事は覚えている。
 乗ったのは大宮始発の小金井行き。
 ホームに停まっている列車を見て落胆の気持ちはいっぺんに吹き飛んだ。だれも乗っていない。本当にこの電車乗っていいの?と思われるほど。
 この列車は1時間に1本しかない東北本線普通列車にあっては珍しく15分前の上野からの小金井行きの後を追う。よって途中駅からも乗る人は無い。
 家族4人で2ボックスを占領。いや1両占領。誰に気兼ねすることなく窓を全開にして、珍しくはしゃぎ気味の父と弟の3人で身を乗り出すようにして外を見る。風を嫌がった母は隣のボックス。網棚に上げる必要も無い荷物に囲まれてにこやかにこちらを見ている。対向列車が来た。「顔をひっこめろー!」夢のような小一時間であった。
 こんな列車は特別なものであると思っていた。ところが時は流れ、ぽつぽつとあちこちへ出掛けるようになると、必ずしも列車=混んでいる、ではない事に気付いた。いや始発列車や終電ですら大勢の人が乗っていてラッシュ時にはそれこそ押されて床から足が離れてしまってもそのまま宙に浮いていられるのではないかという程の混みかたは極一部の異常な状態なのだという事に。
 鉄道会社としてはその方が良いのだろうが、現実はそうはいかない。
 中学生の時乗った品川発の急行はゴールデンウィークなのにその車両は私たちグループの貸し切り。車内で大騒ぎ。
 弟と親戚宅へ訪れる為に乗った中央本線の松本行き最終普通列車。2人でほぼ貸し切り。沿線に灯る家々の灯りにちょっとホームシック。 
 貸し切り状態においては同行人数によってその雰囲気は大きく変わる。
 前述の急行や後に乗った特急での我がサークルメンバー貸し切り状態というような多人数での貸し切りではまさに車内は飲み屋の宴会場の如くとなる。
 誰はばかることなく大騒ぎ。沿線風景なんて覚えていない。サークルメンバーの時は雪でダイヤが乱れたがそんなの全く気にならない。なに!、代行バスがいつ出るかわからない?構わんよ、いくらでも遅くしてくれ、ワハハハハハハハ。
 これが2人で貸し切りとなると雰囲気は変わる。
 男同士の二人旅。貸し切り。怪しい雰囲気。
 とはならない。
 思い思いに好き勝手な席に座って寝ころんで、旅を満喫。
 男女二人旅。あたりに視線は無い。ムフフ。二人旅を満喫。
 とはならなかった私の新婚旅行。
 場所は北海道雨竜郡幌加内から名寄市へ向かう途中。早い話が深名線、朱鞠内~名寄。
 深川から乗った列車は朱鞠内止まり。名寄行きは1時間半後。6月というのに待合室のストーブに火が入っていなのが恨めしい雨の午後。そんな様子を見兼ねたのか「どうぞ車内でお待ち下さい」と駅員。
 早くから到着していた1両きりの車内。運転手と車掌は乗っていなかったがエンジンは掛かっていたので車内はホコホコ。まさに2人だけのアツアツ車内。なのに新米旦那はひととおり写真などを撮った後ロングシート部分に寝転がるとグーグー。鉄道に興味の無い新妻は1人寂しくボックス席で読書。
 やがて発車。さすがに旦那も新妻の向かいに座って、でも視線は窓外固定。
 よくハワイ行きの飛行機では満員の機内にも関わらず2人だけの世界を作っているカップがいるというのに、他の乗客がおらず2人だけの世界が自然に作れる状態においても1人の世界を支配していて、やがて日が暮れて窓外が見えなくなってもガラスに映る新妻の姿を通り越してその向こうの見えない景色に熱中。
 1時間ほどでその状況を打開するかのように町の灯が見えてきて、名寄の町に到着。時刻は既に宿で仲良く、という時間であったのに「よし、次の列車に乗り継ぐぞ」の旦那の一言。
 よく名寄離婚にならなかったものである。
 さて、これが1人旅での貸し切りとなるとその気分は乗っている列車の長さに因って大分違ってくるようだ。
 まず編成が長い場合。
 先の東北本線や東海道本線などではそれこそ10両~15両も車両がつながっている。この様な場合は編成全体が貸し切りとなる事はまずなく、それは編成の端の方となる。そして貸し切りの車内から中央の車両を見通してみれば大抵乗客の姿を認める事が出来る。時には立ち客の姿すら見える。
 この時不思議なのはこの立ち客で、ほんの少し前か後ろの車両へ移動すればゆっくり座っていけるのになぜ移動しないのであろう。一駅だけの短区間利用者なのか?列車内で座る事をいさぎよしとしないのであろうか?
 それはさておき、この様な時とても気分が良い。いや、優越感すら覚える。
 特に昨今の東北本線などではその最前部や最後部の二両ずつがセミクロスシートになっており(4戸15両の場合)、編成中央部のロングシート車に立っている人がいるのに、こちらは優雅にボックス席車両を貸し切り。殿様気分だ。
 これが短編成列車となると気分はガラリと変わる。
 だれも乗っていなくても2両や3両つながっていればまだしも、1両ぽっきりでの貸し切りともなると私1人の為にわざわざ列車を仕立てて運転手と車掌の2人もの人員を手配してくれている様で、申し訳ないような感じがする。
 乗車前に車両の写真を撮ったりしていたのだから、乗務員は私の素生に気付いていたはずである。
 「途中に観光地があったって、そんなの無視してただ終点まで乗って行くだけなんだろうな。」
と。
 それなのにきちんと車内放送をして、乗客のいない駅にしっかり停まる。
 「すみません。ご想像どおり、私終点まで降りません。だから車内放送は省略してもらって結構です。駅も乗る人がいなければ通過してもらってもいいです。」
なんて進言したくなってしまう。
 また、そのようにきちんと仕事をされてしまうと、こちらもそれに答えなければいけないような気になってくる。
 「この線は風景が単調でこれといった見どころも無いから一杯やりながらグダッと乗って、眠くなったら寝ちゃえばいいや。」
という心づもりで乗ったのにかように乗務員からびしっとした対応を受けてしまうと、背筋を伸ばしてきちんと座っていなければいけないような。
 ローカルな私鉄ではこの様な場合車掌さんが「どちらまで?」と声をかけてきて、以後途中駅は徐行して通過してしまう事もあったが、そのようにしてくれると気分はとても安らぐ。一種の連帯感すら生まれたような気もする。
 列車ではないがバスでこれ以上の連帯感を覚えた事がある。
 夏真っ盛りの日であった。発車時点では全ての席が埋まるほど乗っていた人々が次々と降りてしまい、そして貸し切りに。
 私は終点まで乗って行く。しかし、そんな事を知らない運転手は律義に「次は~」と案内をする。ぎこちないような時間が流れる。
 そんなさなか、突然の激しい夕立。全ての窓は全開。
 運転手は道端にバスを停めると窓を閉め始めた。おもわず私も手を貸し、二人して全ての窓を閉め終わった後は自然と会話が生まれたのは当然の成り行きであった。

 いづれの場合でも貸し切りとなっている列車に乗っていて共通に思う事が1つある。
 それは「私(達)が乗っていなければ乗客ゼロだったのであろう。こんなんで大丈夫なのであろうか」
という事。
 案の定、人がいっぱい乗っているのにブツブツモゴモゴとしか聞こえないような車内放送をする路線は栄え、人気のない車内にスピーカーからと肉声の二重奏が響くような列車、路線の多くは無くなってしまったのである。

 平成14年、真岡鐡道はそれまでのモオカ63型よりちょっと車体が大きめのモオカ14型を登場させた。これは乗客が増えたからではない。モオカ63型の老朽化と小山乗り入れを狙っての事であったが、JR直通は実現していない。
 いつも乗客がほとんど乗っていないその緑色の車体を見て、我が家で自然発生した真岡鐡道の呼び方が「はらぺこあおむし」。
 はたして、この青虫はこの後いっぱい食べて次なるステップへと進めるのであろうか。
 それとも……。



--第45号(平成25年10月3日)--

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コメント(2)
 

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切ないですねぇ
あおむしは地元の「ペット」だから餓死も出来ないんですね
あの時に安楽死させてあげれば…

貸し切り列車は興味あるので
久々に線路終端を見に行こうかしら  
2014/9/7(日) 午前 8:56  LUN
 
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LUNさん、
毎月の真岡鐡道への特典無きふるさと強制納税ありがとうございます。(殴)
線路終端は国鉄時代と変わらず、と言いたいところですが、だいぶ雰囲気は変わりました。  
2014/9/11(木) 午前 6:10  NEKOTETU