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ж 44 ж クハモハロハ

 投稿日時 2013/11/18(月) 午前 9:25  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 




 電車に乗る時に車体の中央下の方に「クハ」とか「モハ」とか書かれているのを見て、「何の暗号?」と思われた方も多いのではないだろうか。もちろんこれは鉄道会社内とそれに興味を持つ一部の人達のみに通じる暗号であって、普通一般の人には、特に現在の鉄道にあってはその意味を知る事はさして重要な事ではない。ひと昔前は一般の人でもこれの意味を知る事によって鉄道での移動中がちょっと楽、という事もあったのだが。
 「クハ」「モハ」「クモハ」「サハ」「サロ」。最近はどこへ行っても車体に書かれた暗号はこればっかりでちょっと寂しい。以前は東京あたりでもキロとかスハフなどという物も見られ、更にちょいと出掛ければクハユニとかキサハなんてのが見られた。もちろんこれはJRに限った事で私鉄ではカタカナ暗号が無く数字のみとか「モオカ」なんて更に訳が分からないようで単純明快な暗号があったりする。
 ではなぜ最近見られる暗号がこればかりなのか。それはこれらが電車に使われている暗号だからなのである。
 国鉄がまだ青色吐息でもありながら健在であった頃はその使命と走っている車両が多種であった。列車はだだ人を移動させるだけでなく同時に各駅に荷物を運ぶ役目も担っていたからそれ用の車両も用意されていたし、時にはそれが夜を通しての行程になるので乗客用にもそれなりの設備を用意する必要があった。つまり荷物車や寝台車だ。
 また、電化されている路線なのに電車は特急だけでその他は気動車や電気機関車牽引の客車列車ばかりという所もあった。
 しかし現在ではかつて鉄道輸送の主たる目的であった荷物輸送は全滅に近い状態にある。夜行列車も無くなった。繁忙期にはそれこそ持ち合わせの車両をかき集めて雑多な編成でもいいからとにかく運べるだけ運べも今は昔。安上がりの電車を数両繋げて短区間づつちょこちょこ走らせれば事足りる世の中となった。
 よって都市部で見られるのは「クハ」「モハ」「クモハ」「サハ」「サロ」。ちょっと出掛けてしまえば「クハ」「クモハ」と「キハ」だけと言っても良い状態となった
 ちなみにその暗号の意味であるが、「ク」は運転席がある車両で、「モ」はモーターが付いている車両、「サ」はそのどちらも付いていない車両で、「キ」は気動車、「ハ」は普通車、「ロ」はグリーン車である。まぁ、今更書くまでもないが電車は機関車牽引の客車と違って登場時は1両で走るいわゆる路面電車みたいなものであった。ゆえに各車両にモーターと運転席が付いているのは当たり前で、電車は「モ」だけで表記が十分であった。ところが時代が進むと電車列車も1両でトコトコでは間に合わなくなり何両も繋げて走る事になる。すると全ての車両にモーターを付けては電気代ばっかりかかるのと、そもそも車両の製作代もかかる事から、モーター付きの車両に「くっついて走る」車両という事で、電車の基本形モーター運転席付きからモーターを無くした運転席のみの車両「ク」が作られた。
 更に編成が長くなってくるとモーター付き車両の間に「さしこまれる」車両で基本形からモーターと運転席まで取り外した「サ」が登場。やがて電車が編成単位で扱われて車両ごとに細かく運用される事が無くなってくると「モ」から運転席が外され、運転席付きの物は「クモ」と区別される様になった。という事らしい。
 とか何とかぐちゃぐちゃ書いてすっかり読む気を無くした方も多いであろう。いやすでに他のページに行ってしまってここまで辿ってくれた方の方が少ないのでは……。
 で、本題。
 昔々のその昔。所はみちのく青森駅。
 奥羽本線の特急「鳥海」で到着した北の駅はしんと静まり返っていた。
 この列車は上野を10:30に出発して青森には21:33着で一見東京から北海道への連絡列車の様であるが、上越線廻りと遠回りでその役目を担ってはいない。東北日本海側の都市と北海道連絡の役目は果たしそうだが、次の連絡船は0:10発で国鉄としてもそのつもりはなかったようだ。
 という事でいくらも乗っていない乗客は連絡船乗り場へ急ぐ事もなくすぐにひけてしまって、よく見られる喧噪の青森駅はそこにはなかった。
 私も改札を出て駅前をしばらくふらふらしていたが、ふとホームを見ればすでに今宵の宿、急行「八甲田」がそのブルーの車体をホームに横たえている。発車まではまだ2時間ちかくある。ならばとっとと乗って早寝といこう。
 あいかわらず静かなホームから乗り込めば更に静かでやはり早寝しようとする客がポツポツ。車内はすでに減光されていてこれ幸いとボックス席を占領して横になった。
 カカカカカッグオーン
 いきなりの轟音が寝ていた真下から響いて太平の眠りから覚まされた。と同時に減光されていた蛍光灯が煌煌と輝きだし、クーラーがブィ~ンと起動した。当時の「八甲田」は12系と呼ばれる急行用の客車列車であり走る為のエンジンは付いていないが照明や冷房の為の発電エンジンが編成中の何両かに付いていてその真上に乗ってしまったのである。
 このままでは安眠できない、と隣の車両へ移動。ガラガラなので、さてどこに座ろうか、と贅沢な悩みを抱えていたらホームを走る人の群れが。なんだ、なんだ、と思っているうちに車内に流れ込んできて、あっという間に満席。
 流れ込んできたのは連絡船からの乗り換え客。危ないところであった。もう少しのんびりしていたら車両を移動する事は出来なくなり、うなり続けるエンジンに悩まされ寝不足一夜を過ごすこととなったであろう。
 この時はついうっかり車体表記に含まれていた「ス」の暗号を見落としてしまっていた。12系客車にはこの他に「オ」の暗号が含まれているものがある。「ス」や「オ」は客車の重さを示す暗号で「ス」の方が「オ」より重い事を表している。つまりエンジンが付いていて重い車両が「ス」、エンジンが付いていない軽い車両には「オ」で、この事を知っていれば列車に乗ってがっかりを少なくする事が出来るのである。
 かような感じでかつては暗号を解読する楽しみがあったのであるが現在では前述の理由によりその必要性はほとんどない。かろうじてより静かな車両を選択したければ「モ」の暗号が含まれている車両を避ければモーター音の無い静かな旅をする事が出来る程度である。もっとも、「モ」なし車両に乗っても今の車両は空調の音が結構大きいので昔の様に静かな静かな車両を体験できるのは春と秋の期間限定になってしまっている。
 さて、では「クハ」「モハ」「クモハ」「サハ」「サロ」のうち最も乗り心地の良い物はどれであろうか。
 それは言わずもがな「サロ」、つまりグリーン車である。
 しかし、現在の普通列車グリーン車の乗り心地はさほど良いものではない。確かにドスンと腰を降ろすと背骨を痛めてしまいそうな普通車の座席に比べれば格段に良いのではあるがそれでも特別料金を払ったのにこれ?という感は否めない。むしろ国鉄時代に作られた普通車の座席の方が座り心地は良いのではないかと思われる。
 確かに、普通列車なのだからそれなりの設備でも仕方ないであろう、という意見にもうなづけはするがあまりにも詰め込み主義すぎなのでは無いだろうか。
 それにかつては普通列車にこれを上回る座席の列車が何気なく連結されている事が数多くあった。
 筆頭は東北、高崎線で運転されていた解放グリーン車である。これは急行用の編成が運用の都合で普通列車に使用された場合で、昭和末期の頃これらの線で普通列車にグリーン車を連結しても利用客はいないであろうから非連結が当然という背景のもとに、グリーン車を無料で開放します、というものであった。
 国鉄としては公にそれを宣伝する事は無かったが鉄道ファンと常連客の間では有名だった話だ。
 四国では急行のグリーン車の乗車率があまりにも悪かった為全グリーン車を廃止。だが車両は廃車とはせず普通車扱いとして主に急行の指定席車に使われた。そしてこの編成も普通列車に使われればむろん無料のデラックス車両と化した。これで有名だったのが高松~中村(窪川)を結んでいた夜行普通列車。この席を獲得するには少々早くから並ばなければならなかったが、その甲斐あって深々と倒したリクライニングシートで過ごす一夜は快適そのものであった。
 また、同様に急行用グリーン車に運転台を付けて普通列車に使用されている物もあった。こちらはなかなか捕まえるのが難しかったが、たまたま当たるとやはり旅行がデラックス。でも時には連結されていたのに気付かず下車した列車が立ち去るその最後尾に付いていたりするとなんだかとても損をしたような気分になったものである。
 ちょっと形態は違うが現在でも走っている寝台特急電車を普通列車に改造したもの。こちらは元がグリーン車ではなく普通車ではあるがそもそもが寝台車。つまりソファーベッドに座っている様なものでこれも乗り心地がすこぶるよろしい。
 これらの車両は元は急行用グリーン車や特急車なのであるから乗り心地が良いのは当然であろうが、それが只で利用できたという所が最大の魅力である。これらの車両に本来のグリーン料金や特急料金を支払って乗ったのであればそれは当然の乗り心地としてこれほどまでには素晴らしい乗り心地とは感じなかったかもしれない。かもしれない、というのは残念ながら急行グリーン車に規定料金を支払って乗った事が無いからである。寝台特急の座席利用は何度か経験がありその特急料金に見合わない座り心地とは感じなかったが、世間一般の人には特急でありながらリクライニングもせず4人向かい合わせの座席は不評であったらしい。その人達が普通列車に格下げされたその車両に乗ったらどの様な感想を持つのであろうか。
 まぁ、つまるところは、かつて特別な料金を払わなければ乗れなかった車両に只で乗れればそれは乗り心地の良い車両と感じる、という事なのであろう。う~ん、貧乏性だなー。
 ところがJR東日本はその逆をやった。現在の東北・高崎・常磐各線にグリーン車を導入する際必要な車両数が揃うまで無料で開放したのである。これは上手い手であった。只であれば当然みな少しでも設備の良い物を利用する。そして設備の実力以上にそれを素晴らしいと感じてしまう。そうなってしまえばしめたもの。人は一度利便性を感じてしまうと多少出費は増えてもそれを利用してしまう。そして猫も杓子も私までもがグリーン車を利用するようになってしまう。
 これが最初からグリーン料金を取って営業していたらこんなに早く普及はしなかったであろう。なんだい、金とっておきながらこんなもんかい。こんな感想を持ってグリーン車を利用しなくなってしまった人も多数出たのではないだろうか。
 かくして一般大衆向けグリーン車構想は成功した。実際に乗ってみるとグリーン車に似つかわしくない人々が私も含めて大勢乗っている。
 昔、東海道・横須賀線の普通列車グリーン車はそれなりの階級というか所得層が乗るまさに特別車両だったそうで、車内は上品なムードに包まれていたそうである。
 そんな安っぽくなってしまった普通列車グリーン車であるが、かつての東海道本線の普通列車にはその特別度を顕著に表していた車両が存在していた。普通列車用と言っては語弊があるだろうが、80系湘南電車の2等車である。
 2等車と言うとそれも安っぽく聞こえるかもしれないがこれは現在のグリーン車という料金体系以前の呼び方で、その暗号は1等車は「イ」2等車は「ロ」3等車は「ハ」でつまり2等車は現在のグリーン車に相当するのである。
 この車両の乗り心地は最上級であった。垂直背もたれに申し訳程度のモケットと平坦な座面の3等車に比べて、別れてふくっらしていた枕部分と腰当て部分に、さらにぷっくりと盛り上がるように膨らんでいた座面は大人が座ればそれこそリクライニングしたソファーに座るようであっであろうが、子供の私が座ったらクッションの反発力に軽い体重が負けてしまってなおさらそっくりかえるようになってしまい足は高く持ち上げられてしまってブラプラしてしまうような状態であった。
 こんな座り心地の車両にはその後めぐり会ってはいない。一度だけ乗った事がある(情けないですが)特急グリーン車だってこの域には達していなかった。
 と書くといかにも東海道本線の特別車両に乗ったようであるが実際に乗ったのはそれが都落ちして先頭車化改造され両毛線で使われていた時である。つまりこれもロハで乗ったのだ。だから余計素晴らしく感じてしまっているのかもしれない。


--第44号(平成24年1月8日)--

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