ж 39 ж 西へ東へ
機械は使い続けていた方が調子が良い。工場の製作機械などはそれこそ24時間休み無しに稼動していても動き続けていられるのに土日や盆正月休み明けの動かし始めは不具合が発生する事が多いという。
鉄道車両も機械である。だから上の例に漏れない。いや車両に限った事ではない。例えばレール。1日に数本しか走っていないローカル線でもその頭面(レールの上の部分で車輪と当たる場所)は光っている。それが廃線となるとすぐ錆びる。以前ストで2~3日列車が止まった時もそれだけで頭面にうっすら錆びが出たそうだ。
さて、鉄道車両。
こちらもしばらく使わないでいるとその劣化は著しいという。
良い例が京成電鉄の初代スカイライナー。ピカピカの新車で落成したものの成田空港の開業延期でしばらく出番なしの状態が続いた事がある。すると新車にもかかわらず機器がダメになってきてしまったのでとりあえずは上野~成田間の特急として使うこととなった。使うことによって劣化を防ごうという物である。
機器の劣化は傍目にはさっぱり判らないが、素人でも一目で判るものがある。塗装の劣化である。
スカイライナーの場合もしかりで、日の当たる面の色あせがひどかったそうだ。
新車ですらその様なありさまなのだから古い車両が放置されているとその劣化は更に著しいものとなる。
放置とは違うが、国鉄時代には休車という扱いがあった。鉄道車両にも車と同じく一定の期間毎に検査が義務付けられているが、年に数度しか使わないのにこの全般検査を定期的に受けさせるのはもったいない、または暇がないという事から(?)休車扱いにしておけばその期間分検査時期を延ばす事が出来るというものである。(国電車両の全般検査が間に合わず車検切れ車両が続発してダイヤ通りの本数が運転できないという事があった。家電製品をいっせいに買うと壊れるのもいっせいというのと似ているな。JRは次々と新車を入れているが大丈夫か?)
この様にしばらくは使わないから休車にするものを第一種休車と言う。もちろんこの扱いになるのはピカピカ新車ではない。そうとう使いこんだ第一線を退いた車両である。その車両が休車扱いを解かれて活躍するのが超繁忙期の臨時列車で、○○51号などというヤツである。事情を知らない人が○○号のつもりで使うと「なにこれ、これで急行料金取るの?」となり、一部のファンはニッコリとなるような代物である。
この一部例外人間を除いて多くの人ががっかりする原因はやはり第1印象、その塗装状態ではなかろうか。多少古い車両でもそれがピカピカであればそうはがっかりしないはずである。ところが目の前に入ってきた車両は色あせて所々は塗装がはげていたりもする。これではがっかりだ。これは古いだけでなく休車となって放置されていた事によるところが大きいのではないかとも思う。
もっとも,色あせが見られたのは臨時列車に限った事ではなかった。
まだステンレス無塗装車両が一部私鉄の代名詞であった頃には様々な色の車両が走っていた。線区毎に色が違うという意味ではなく、同じ色の車両を連ねた編成でありながら中にはその色調が全く違うもの、マット(つや消し)になっているものが含まれている事が多かったのである。
長年使われていると様々な都合により編成中の車両の組換えが行われる。よって初めこそ編成毎にそろっていた検査時期が車両毎にバラバラになってくる。で、編成中の中に検査時期を迎えた車両があると編成そっくりを工場に入れるのではなく対象車両だけが抜き取って入れられる。鉄道車両の全般検査は車の車検とは違ってそれこそバラバラにして精密検査が行われる。車体も腐食等があればパテ盛りや鉄板切り貼りで補修が行われる。そして10日ほど後検査が終わった時には新たに塗装された新車のような容姿となって編成に戻される。その時隣に間もなく検査、だいぶ色あせています、がいるとその違いが明白になるという訳だ。
一時、編成そっくりが、マット+水垢だらけ、というものもあった。間もなくのダイヤ改正で廃止となる夜行急行列車で東北新幹線開業直前の事だ。
これらの列車は戦後の高度成長期に作られたつわものでなされていたがさすがに寄る年波にはかなわずかなりくたびれていた。落成時の時代の最先端をいく車両としてそのピカピカの姿を雑誌の写真で見たが、現物を目の当たりにするととてもかつてのそんな姿は想像できない。
特に寝台車やグリーン車の状態がひどく、デコボコの車体に切り継ぎ色あせ錆び水垢ハゲの部分塗りと朝日を浴びて上野駅に到着する時などにその凋落ぶりをひしひしと感じさせられるものであった。いくら列車の廃止と共に廃車になるとしてももう少しなんとかならないのかと。これでは第2種休車になっている車両と変わりはないのではないかと。
休車にはもうひとつ第2種休車というのがある。これは廃車する事を前提とした休車である。これになるとその色あせは更にひどくなる。廃車にするという事なので全く手入れはされないのだから当然であろうが、かわいそうに思えるほどひどいものもあったりする。と言いつつも勇んでそんな車両の写真を撮りに行ったりするのだから始末が悪い。(仲間内では死体写真を撮りに行くと言っていた。)
そんな車両を眺めていると日の当たる側と反対側では全く色が違う事がある。日陰側では比較的元の色を残しているのに、日向側はマットになっているのだ。
活躍中の車両はたとえマットになっても両側が同じ様にマットになっている。グネグネが特徴とも言える日本の鉄路を走っているうちに程よく日が当たるからである。山手線や大阪環状線などはぐるぐる回っているのだから理想的な両面グリルだ。だから走っている車両においては片面マット車は存在しない。片面マット車は第2種休車の特徴なのだ。
と、思っていたのだがよくよく見ると現役車にもそれが見られる。先に書いた夜行急行列車がそうであった。
これらの列車は昼間は車庫の片隅で身を寄せ合っているので強烈に日差しを浴びる事は少ないと思われる。動き出すのはとっぷり暮れた頃でこの時も当然日は浴びない。夜通し走って終点近くなると朝日を浴びる。そしてまた車庫に入り昼寝。
つまりよく日が当たるのは朝日でこれは片側だけにしか当たらない。東北本線は南北に走っているから朝日が当たるのは当然一方向だけ。急行「能登」や「越前」は一見ぐるりと回って両側に当たりそうだがそれぞれ長岡、直江津で向きが変わるのでやはり一方向にしか日が当たらない。急行「銀河」もこれに相当するだろうが片面焼けしてたかな?
であるならば、夜行列車がほんの一時朝日を浴びて片面マットになるのなら東西に敷かれた路線の上を昼間走っている車両は更にひどく片面焼けしているはずである。
東西に走る線といえば東西線。この名が付く路線はいくつかあるが皆地下鉄だ。日は当たらない。これらのうち地上へ直通する列車もあるが地上へ上がればグネグネ両面グリルだ。東京メトロ東西線はかろうじて中央線乗り入れ部分がまっすぐ西へ向かっているがステンレス車両。はたして日焼け跡は見られるか。
その中央線国電区間(いやE電区間、じゃないか、今はなんと呼んでいるのだ?)は新宿~立川間が東西だがその前後でちょっとグリル。そこを走る総武緩行線も同様だ。でも片面焼きの時間は長い。オレンジ電車は片マットだったかな。
名前ではなく実際に東西に走っている路線はあるのか。地図を見てみる。時刻表の巻頭地図ではいけない。あれはこのような場合全く役にたたない。
例えば水戸線。時刻表地図では笠間付近で大きく向きを変えるように書いてあるが実際は結構南北線だ。逆に隣の両毛線は比較的まっすぐに思えるが実のところはかなりのグネグネ線。
この一見まっすぐ、でも実際はグネグネ線、というのは結構多い。いやほとんどがそうである。
列車に乗りこむと日が当たっているのとは反対側のブラインドが閉められていることがある。これは列車の向きが大きく変わっている事を示している。時には両側が閉められていて車内が薄暗い事もある。こんな状態の列車が走る路線は相当にグネグネであると考えられる。
なぜか人はブラインドを閉める事はあっても開けるという事はしないみたいだ。日が射し込んでまぶしくなると閉めるが列車の向きが変わって射し込まなくなっても開けない。いや気づかないのかな。で、その時は反対側がまぶしくなっていてそちらが閉められる。よって両側ブラインド列車になる。昨今はなんとかガラスを使っていてブラインドの無い車両が増えてきてこんな事も少なくなってきたが。
そんな事を思い出しながら地図を眺めていたらありました。東西線。四国三郎に沿って走る徳島本線だ。徳島から佃までほぼ北緯34度線に沿ってまっすぐ走っている。この路線だけを行ったり来たりしている車両なら片焼けしそうである。もっとも、車両の運用は複雑でこの線のみで走っているものは無いであろう。時刻表で見ても牟岐線へ乗り入れている。かつては小松島線に浮気する列車があった。
この線なら眺めの良い川側のブラインドが閉められることは夏場の夕方以外に無いであろう。私が乗った時も思う存分風景を眺める事が出来た。
しかし、まっすぐ流れる川に沿ってまっすぐ走る路線は単調でもある。窓のブラインドは閉まらなかったが目のブラインドは閉まってしまった。
--第39号(平成20年8月3日)--
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