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 投稿日時 2010/11/20(土) 午後 6:21  書庫 鉄道の間 鉄道、 カテゴリー 列車
 

 

 

『紫の 煙なつかし 停車場の 人ごみの中に そを嗅ぎに行く』

 よし、禁煙するぞー、と叫び続けてはやウン十年。あ~、ここまで書いただけでもう一服つけたくなってしまった。
 では、行って来まーす。



 ただいまー。
 ご多分に漏れず私はほたる族でパソコンに向かいながらの一服は許されていない。だから一服中は仕事や趣味の手を中断している事になる。いや、これはほたるに限った事ではない。大抵の場合一服中はその手を休めている。つまり喫煙は時間と金と寿命の無駄使い以外のなにものでもないのである。
 そこまで解っていてもやめられない。なぜならタバコは麻薬であって一度手を染めてしまうとなかなか抜け出せ無い性質があるからなのだ。それをうまく利用して税金を集めている国。なんだ○○○゛とかわりないぞー。みんな国が悪いんだー。責任取れー。(責任転嫁の見本です)
 さて、そんな私にも無理なく禁煙させてくれるものがある。そう、言わずと知れた鉄道だ。
 昨今あちこちの公共の場では禁煙化が進んでいる。鉄道もそう。現在ほとんどの列車内は禁煙となり、東京付近の多くの私鉄では駅構内も禁煙となっている。だからちょっと列車で出掛けさえすれば簡単に禁煙できる。
 では以前はどうだったのであろう。
 記憶の古いところに残っているのは東北本線の禁煙区間が上野⇔大宮であったこと。
 なぜそれを覚えているかといえば私の父が愛煙家だったからである……かな?
 実を言うと父がタバコをくゆらせている姿の記憶はおぼろにしか無い。父は私が幼き頃に無煙化を果たしていたからである。だから父が列車内でタバコをふかしている記憶も無い。それなのに上野⇔大宮が禁煙区間であったと記憶しているのはやはりタバコが身近なものであったからであろう。昔、タバコは悪者とはされていなかった。赤子の顔に煙を「プウ」と吹きつけてあやしていた時代である。禁煙区間が終わると、つまり大宮を発車すると車内のいたる所から煙が上がった。誰に遠慮する事は無い当然のことであった。これらの事によって覚えているのであろう。
 かように禁煙とされていたのはほんの一部の区間の車内だけであって、車外は無法状態(当時はそれが当然?)であった。
 郊外の住宅地からバスで駅に向かう。バス車内は禁煙。愛煙家はちょっとのがまん。でもバスを降りるといきなり着火。バス停から駅までの道は大勢のくわえタバコで歩く人が。道の途中には灰皿の設備は無い。よって駅周辺の路上は吸殻だらけとなっていた。
 ホームへ上がって電車を待つ間にまた1本。禁煙タイムなど無いから朝の通勤時間などはホームは煙に満ちていてそれが通勤風景であった。かような状態であったからホームのベンチ横には必ず、そしてほとんどの柱が灰皿を背負っていた。そのいくつかは「かちかち山」状態でモウモウと煙を上げていたが、そんな灰皿に吸殻を入れるのはまだモラル派のほう。いやそうではない。たまたま灰皿の近くにいた人だけ。大抵は灰皿へ歩み寄る事無く線路へ投げ捨てていた。だから線路は吸殻だらけ。「吸殻は灰皿へ」という看板があちこちに掲げられていたが功を奏する事無く、駅員がホーム下を掃除する姿を良く見かけた。
 その後しばらくタバコに関する記憶は途切れる。
 第二次の記憶は高校生の時。もちろん自分で吸っていたわけではない。人の吸殻を処分していた時である。
 アルバイトで電車の掃除をした事がある。東急田園都市線の鷺沼車庫。清掃は下請けの会社がやっていてその詰所が車庫の片隅にあり、そこへ飛びこみで訪ねていってアルバイトをさせてもらった。
 電車の掃除は日に3編成。午前中1本、午後2本であった。午前中1本は少ない様に思われるかも知れないが、これは午前中の半分が朝の通勤輸送から帰ってきた列車の掃除に当てられていた為。もっとも掃除とは言っても座席下や壁際などのゴミが溜まり易い所のみを掃くだけで「小掃除」と呼ばれていた。
 本格的に掃除をする列車はまず駅まで迎えに行って、(もちろん洗浄線まで運転するのではない)……。 
 おっと、話が余計な方へ進んでしまったのでこの話はまた別の機会に。
 掃除の項目に車両を連結しているホロの部分も当然ある。渡り板の下だ。そこを開けてみると多くのゴミに混ざって吸殻が落ちている事がある。東急は車内禁煙なので本来であれば落ちているはずはない。聞けば酔客がよくタバコを投げ捨てるそうで火災の危険が最も大きい場所だという。「ほら、これも」と示されて見れば床にポチッと茶色い汚れ。タバコを踏み消したこげ跡でこれは洗剤では落ちない。紙やすりでこすり落す。
「タバコ吸いはマナーが悪いなー」
これが第二次タバコ記憶。
 第三次タバコ記憶は現在まで続く。始まりは大学2年の時だった。かな?だからそれ以前、特に1年の頃乗りまわった鉄道での禁煙区間や禁煙タイムの記憶がさっぱり無い。おそらく乗り込んだ列車の車内が煙でムンムンしていた事もあっただろうが全く覚えていない。ただ、風光明媚なところなどでタバコをふかしている人を見ると
「なんでわざわざきれいな空気を汚して吸っているのだろう」
と疑問に思う程度であった。今は逆に「空気がうまいとタバコもうまい」となってしまったが。
 友人の下宿で学校へ行くともなしにゴロゴロしているうちにタバコを覚えた。すると今まで見えていなかったものが、いや見ていなかったものが目に入るようになった。
 1番気にかけていたのは禁煙区間と禁煙タイム。
 禁煙区間は何時の間にかその範囲が広がっていて大宮までだったのが小山や熊谷になっていた。東海道本線は平塚までが小田原となっていたように思う。禁煙タイムは大抵日に2回。朝と夕の通勤通学時間だ。
 車内放送ではしきりにその注意があったが、禁煙タイムの終了に付いては「9時までは」と時間を言う場合と、「○○駅まで」と禁煙タイムを超えて始めて停まる駅までの二通りがあった。
 もっとも、これは普通列車に限る事で、急行や特急はフリースモーク。上野や東京で列車に乗りこむなりいきなりプゥー。
 そしてその煙の行方を追っていくと天井がまっ黄色なのに気づく。長年のタバコのヤニがこびりついているのである。
 もう1つ気になるのが灰皿。幼少の頃は窓下に付いていた灰皿の蓋をカチンカチンと開け閉めしては「汚い」と母親に怒られる程度の存在であった。ちなみに灰皿には2種類あって蓋がひっくり返ってタバコ消しになるタイプと半円形の蓋をくるりと押し上げ回して開けるタイプの2つがあった。前者の方が遊ぶには楽しく、後者にあたるとがっかりした。
 で、その灰皿の場所が問題であった。ボックスシートでは窓下。近郊型のドア横部分ではボックスシートの背もたれ裏、つまり真横に灰皿があったがいずれもその直近の人の占有という感じであった。よって通路側など灰皿から離れた位置に座った場合は隣の人の前に手を伸ばして捨てなければならない。そう度々手を伸ばすのは隣の人に、何だか、なので吸殻はともかく灰はついつい足元へポン。その落ちた灰の辺りには例のこげ跡がいっぱい付いていた。
 ロングシートのみの車両で運転されている列車はもっとひどかった。灰皿が極端に少ないからである。せいぜいがドア横や車端の壁のみ。東武鉄道では杉戸(東武動物公園)以遠の末端区間は喫煙可であったが灰皿そのものが無く、いずれも床はこげ跡だらけとなっていた。
 特急列車も例外ではない。古いタイプの車両では灰皿が前の座席の背もたれに付いていて、グループもしくは空いているからと前の席の向きを変えると灰皿が無くなってしまうものがあった。そんな車両はやはり床が。
 時が進むと普通列車は全区間禁煙となった。愛煙家は
「吸いたければ金を出せ(特急や急行に乗れ)という事か」
と憤ったが、禁煙化は優等列車へそして駅構内へと進んだ。
 国鉄としては「お客様の健康の為」と言っていたが、本音は「灰皿を無くしたら掃除の手間が省けるし、車両も汚れない」であったのであろう。
 大手私鉄もそれに見習ってそれまではあちこちにあった灰皿を撤去した。
 ただし、国鉄(JR)は愛煙家の完全締め出しは行わなかった。理由はよくわからないがホームのずーと端の方や階段の下など目立たないところに喫煙コーナーを設けた。いや目立たない場所のはずなのだがそれは目立った。本来なら不便で人がいなさそうな所に人だかりがしているからである。
 大きな駅ではコンコースの一部をパテーションなどで区切って喫煙コーナーとしていた。たいして広くは無いその空間に入ると紫煙煙る異様な雰囲気の中に大勢の人がいる。みんなしてこっそり隠れてドラッグパーティーでもひらいているような。
 鈍行列車で窓を大きく開けてのんびりと一服はもう遠い時代の話となってしまった。もっとも、窓を開けて風を浴びながらはとても「のんびりと」とはいかなかったが。


 調べてみるとどうやら明治5年に鉄道が開業した頃は車内禁煙であったらしい。ところが明治7年には禁煙車が登場している。つまりそれ以外では車内喫煙が可能になった訳だ。やがて列車でキセルが当然となり禁煙車は無くなってしまったのであろう。明治41年にはまたしても禁煙車が登場している。しかし、それも何時の間にかウヤムヤ。で、現状は禁煙が主流。
 はたして、時代は繰り返すのか。 

--第38号(平成20年6月1日)--
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コメント(2)

 

 

 

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写真の電車は72系全金車とかですか?

灰皿もモチロンですが、中央に立つポールが懐かしいです。


・・・現代、211系とかでも、灰皿撤去跡のビスがむなしいですね。  

2010/11/22(月) 午後 2:29  哲ちゃん+Mc169
 
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この写真は可部線で撮影しました。
クモハ73ではありますが全金車ではなさそうです。残念ながら車番は失念してしまいました。
普通列車が禁煙になってからもうどのくらい経ったでしょう。あのビスが灰皿の跡と知らない人達も増えたのでしょうね。  
2010/11/22(月) 午後 6:24  NEKOTETU