<ж 30 ж 「布団でぬくぬく」 第13号―第25号 TOP 画像>
ж 27 ж 地下鉄?に乗って
2010/4/25(日) 午前 6:09 鉄道の間 鉄道、列車
さて、前回は地下鉄が暗いとか何とか書きまくってしまったが、地下鉄にも地下鉄独特の楽しみが有る。
銀座線などで駅に到着する前に車内灯が一瞬消え壁のカットガラス風の非常灯が灯くのが面白かった。
銀座線や丸の内線は第3軌条と言って、普通の鉄道では上に張ってある電車に電気を流す為の架線に代わるものとして、線路脇に電気の通っているもう1本のレールがある。なるべくトンネルの大きさを小さくする為の工夫で有る。
車内灯が消えるのは、非常時に乗客が線路を歩いて避難する際このレールに触れても感電しない様に駅間毎にギャップを切って電気を止められるようになっており、そのギャップ部分を通過する時に一瞬停電となるからである。
駅が近づき速度が落ちるとまず前の車両が真っ暗になる。すぐに灯りが戻ると今度は自分の乗った車両。ほのかに非常灯のオレンジ色の光に満たされる。ややあって後ろの車両が真っ暗に。と、順に灯りが点滅するのが面白かった。
日比谷線にはリコ式というつり革があった。少しでも車内を広く感じてもらおうと普段はばねの力で網棚側に持ち上げられているが、掴む時は引っ張れば普通の位置になるという物。手を離せばまたピョコンと戻る。この動きも面白かった。
打子式ATS装置というものがあった。電車を降りてホームから見ていると、電車が出発していった後赤信号が表示されると線路の脇に金槌の様な物が起き上がって来る。次の電車が赤信号を無視して進入してきたら、この金槌で床下にある非常ブレーキの弁をひっぱたいて電車を止める、というかなり強引な仕組みのものである。
信号が黄色になると金槌は横になる。この寝起きが面白かった。これらの何処が面白いのかと言われても困ってしまうのだが面白かった。
残念ながら今はこれらを体験する事は出来ない。新型の車両はギャップ部分を通っても車内灯が消えない仕組みとなり、物理的なATSは電子式に取って代わり、リコ式つり革もすぐにばねがいかれてブランとなってしまったり、座っている人が立ち上がった時に前の人が手を離すと頭にぶつかる、という欠点から姿を消してしまった。
だが、今も昔も変わらずに楽しめるものがある。
地下鉄に乗ったら一番前か一番後ろに陣取る。別にひたすらトンネルを眺めていよう、というわけではない。この場所に陣取ったら外ではなく車内を眺める。
これは車内が空いていてずっと先の車両まで見渡せる時に限られるのだが、この位置から見ているといかに地下鉄路線がグネグネと敷かれているかが良く判る。それも左右だけでなく上下もである。
前回も書いたように東京の地下鉄は路面電車の跡を踏襲している為カーブが多い。そのカーブの様は普通に座っていては判りにくいが、この様に見通してみると良く判る。
また、上下であるが、これは勾配の様が良く判るという事。
東京は思いの他凸凹な土地であるのだが、建物が密集している為それが良くわからない。また、地上を走る鉄道はこれらの凸凹を高架や切り通しで抜けてしまうので鉄道に乗っているとなおさら判りにくいし、車で走っても、渋滞や運転に一生懸命で(田舎者ゆえ東京の道は怖い)とても地形を眺める余裕は無い。
しかし、地下鉄であれば、それが良くわかる路線がある。
その路線は銀座線や丸の内線といった古い路線。これらの路線は開削工法と言って、道路に巨大な溝を掘り、底に筒状にコンクリートでトンネル様のものを作ったら土でその上を埋め戻して道路に直す、というやり方で作られている。よってあまり深いところにトンネルを作る事は出来ず、自然と地上の標高に沿ったものとなる。
で、これらの路線に乗ってその様を眺めいると、いかに東京が凸凹であるかが良く判るのである。
銀座線で渋谷を出る。この駅は地上3階にあるが、発車して間もなく地下へと潜る。だがこの潜るというのは適切な表現ではなく、線路はそのままの高さなのだが、前方に山が迫ってきて仕方なくトンネルに入る、と言った感じである。これだけでいかに渋谷が深い谷間にあるのかが判る。その先は地形に沿って進み青山から赤坂の急坂を下り赤坂見附へ急カーブを切る。さながら某遊園地にある闇を進むジェットコースターの様である。乗った事は無いけれど。
更に地図を広げて地上の様子と照らし合わせながらであれば更に楽しいのであろうがこれには少々の勇気を必要とする。
新しい地下鉄では工法の発達により深い所を進んでしまう為地上の凸凹は伝わって来ないが他の路線を避けるために急に潜ったりもするのでその方面で楽しめる。
純粋な地下鉄ではないが総武快速線の東京地下区間、馬喰町から錦糸町にかけても勾配がすごい。馬喰町は地下30.8m。そこから一気に地上へと駆け上るのだが、実際に地上に出るのは両国駅のはずれでその距離1Kmあまり。しかも高架線にまで登るのだから高低差は40m近くと、そんじょそこらの山岳路線も顔負けである。
両国駅の直前では隅田川の底をくぐっている。これも地図を見ながらでないと解りにくいが、多くの路線が様々な川の下をくぐっている。海の底をくぐっている所も有るし、皇居のお堀の下を失敬している所も有る。
これらは全て土木技術の発達によるものであって、その技術が未熟な時代に作られた丸の内線は神田川の底をくぐる事が出来ず、橋で渡っていて、ちらりと地上に顔を出す。
丸の内線は地下鉄と言う割には地上区間が多い。その他の地下鉄でも完全に地下区間だけを走る電車は少なく大抵のものが地上へと顔を出す。
この地下から開放される瞬間は最高の気分で、これこそが、地下鉄における最大の楽しみ、と言う事が出来るであろう。
このごろは郊外から都心の地下をつき抜けて反対側の郊外までの長距離を結ぶ電車が増えてきた。
埼玉県から電車に乗る。天気が良ければ遠くにポチット富士山が見える。電車は郊外を進みやがて都心に近づくと地下に潜る。こまめに都会の下の駅に停まり外が見えないためにうんざりするほどに長く感じられる時をすごす。やがてトンネルに響く轟音がうつろになるとその直後陽光きらめく外に出て、多摩川の鉄橋の上へとおどり出す。富士山が大きく見えている。この瞬間がたまらない。
ところで、土木技術の発達は地下鉄だけでなく地上鉄道の地下鉄化をもたらした。その傾向はもう何十年も前から言われている事だが、トンネル区間の比率の増大である。
かつて山陽本線に特急「かもめ」が走った際、山陽本線が海岸から離れていてあまり車窓から海が見えず山ばかりだった為『「かもめ」ではなく「からす」だ』と言われた事がある。それが山陽新幹線では「もぐら」と言われた。トンネルばかりで山すらろくに見えないからである。
そもそも、トンネルは「わーい、トンネルだー」と言うくらいに珍しく「わーい、トンネルだー」と言っているうちにくぐり抜けてしまうものであった。
それが最近では「わーい、トンネルだー」「わーい」「わーい」「わ……」「いつ抜けるの?」という長大なものが増えてきた。
つまり、通るという楽しさよりも抜けた時の開放感の楽しさを味わう物の方が多くなってきたと言う事である。
その代表格が青函トンネルである。長さが53.9Km。通過するのに約30分かかる。
これは先ほど、うんざりするほどに長く感じられる、と書いた半蔵門線押上から田園都市線二子玉川までの倍以上の距離である。所要時間はその半分ではあるが、途中に停車駅のない分単調さが強調されてそれ以上に長く感じられる。
途中に2箇所、駅とは言えない海底駅が有るが、そこを通過する列車ではよほど注意していなければその存在はわからない。よって単調を打ち破るアクセントとはならない。
JRもそれがわかっていたのであろう、車両の端にトンネルのどの辺にいるかが解る表示板を設けたり、からくりをもって車外に絵が映るような仕掛けもしていた。でも、それでトンネル自体が「楽しいな」となるには到底及ばず、くぐり抜けるのを更に待ち遠しくさせるだけの効果しかないように思えた。
連絡船で渡道した時もその到着が待ち遠しかったが、それとは全く違う感覚の待ち遠しさである。
この感覚は東京でも味わえる。もちろん地下鉄ではない。それは……。
--第27号(平成18年2月4日)--
猫と鉄道 トップ → http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/main/index.html
猫と鉄道 書庫 → http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/syoko/syoko.html
コメント(4)