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2010/3/28(日) 午前 9:53 鉄道の間 鉄道、列車
東急田園都市線の駅はちゃんと呼ばれるものが少ない。
シブヤ、イケジリ、サンチャ、コマザワ、シンマチ、ヨウガ、ニコタマ、シンチ、タカツ、ノクチ、・・・。
正しくは、
しぶや、いけじりおおはし、さんげんぢゃや、こまざわだいがく、さくらしんまち、ようが、ふたこたまがわ、ふたこしんち、たかつ、みぞのくち・・・。
なぜ正しく呼ばれないのか。
それは、この線の利用者には比較的若い世代も多くそのほとんどが学生である事。学生たちは好んで自分たちだけの合言葉の様に短縮し独特の言いまわしをしたがり、その呼び方がマスコミによって一般に広められた事。
そしてそれが一般に受け入れられたのは、比べてもらえばお判りになると思うが、3文字の駅は短縮されず、それ以上の駅は全て縮めて呼ばれている。つまり、そもそも駅名が長くて普段使いに勝手が悪い、という事であろう。
「駒沢公園に行くにはこまざわだいがくで降りてさくらしんまち方面に歩いて次の交差点を・・・」え~い!!、鬱陶しい、こちとら江戸っ子でい。
という訳で短く呼ばれる様になってしまったのではないであろうか。もちろんそれを知らない人にこの短縮形を使っては更に訳がわからなくなってしまうし、もちろん正式な場でも具合が悪い、と使い分けをしなければならない、という面倒も起こっている。
ではなぜかように使い勝手の悪い長い駅名になってしまったかというと、それはこの路線が後から出来たから、という事であると思える。
そもそもこの渋谷からニコタマ、いや、二子玉川まではかつて玉川線という路面電車が走っていた。しかし、時代の流れに従って自動車に文字通り道を譲り、その場所は高速道路となってしまい、自身は地下に潜ったのである。
玉川線の駅は、渋谷、上通、大橋、玉電池尻、三宿、三軒茶屋、玉電中里、上馬、真中、駒沢、新町、桜新町、用賀、玉電瀬田、二子玉川園、であった。しかし地下鉄化にあたっては駅間が短すぎるので統合が行われたのだが、その様な場合に地元に利害関係が生まれるのは常である。
昔々のその昔、地名がさほど重要性を持っていなかった頃には適当であって、街道の分岐点に三軒の茶店があったから三軒茶屋。もっとしゃれた名前にしてお客を呼ぼう、などとは微塵も考えていない。桜町の隣の畑だらけの名も無い場所に町が出来たので新町。そんなところである。
しかし、時代が進むと地名がステイタスとなり、更にその名の駅が有るか否かによって価値が変わるようになった。
池尻町の案内に「大橋駅で降りて・・・」では少々情けない。逆もまたしかりで池尻大橋駅になる。
駒沢大学駅もそもそもは現在地ではなく大学と駒沢公園直近の真中に出来て駒沢公園駅になるはずが、大学からの要請で徒歩5分ほどの現在地にする事によって公園から離し駒沢大学になったとか。真偽のほどは定かではないが「名を捨てて身を取ってほしかった」と学生はぼやいていた。
そもそも地名は時代と共に短縮されるものであって、はじめに書いたような出来事はその流れから言ってもごく自然な事である。例えば「下野」。これはかつての毛野国が2つに分かれて「下毛野国(しもつけのくに)」「上毛野国(こうずけのくに)」となり、それが「下野」になった。
ちょっと例がマイナーなので、「新宿」。
言わずと知れた東京の新都心。元々は甲州街道は日本橋の次が下高井戸宿であったが、距離が離れすぎていた為後になって間の内藤に新しい宿場設置された。内藤に出来た新しい宿場という事で内藤新宿と呼ばれていたのだが、それがいつのまにか本来の内藤が省略されて新宿になってしまったのである。だから本当であればあの駅は内藤駅であるし、東京都庁は内藤にある、となっていたかも知れないのである。
また名称短縮ではないが、「秋葉原」。明治初期の大火後、火伏せの秋葉神社が建てられたが、貨物駅建設の為に移転。その何も無くなった跡地を、秋葉様の跡地の原っぱ、で「あきばはら」。それがいつのまにか「あきはばら」。こちらはそもそもの名前が変化しているが、今では「あきば」と短縮されて本来の名称に戻りつつある。
この様に地名は短縮傾向にあるのに、鉄道の駅名はどんどん長くなる傾向に有る。新宿にしても秋葉原にしてもそもそも名前があって力をつけて全国区になったのに、最近は名前から入って、というパターンである。
今度は宇都宮線を例にする。
上野、尾久、赤羽、浦和、大宮、蓮田、白岡、久喜、栗橋、・・・。すっきりしている。
現在大宮と蓮田の間には2つの駅が有る。
土呂と東大宮。どちらも旧大宮市内にあり昭和生まれで他の明治生まれに比べかなり若い。
先に出来たのは東大宮。ずっと昔であればその地区の名前をとって見沼とか違う名前になっていたのであろうが、知名度の高い大宮の力を借りて東大宮。その後大宮と東大宮の間に新駅が出来る事になったが、さて困った。大宮の東にあるのに東はすでに使われてしまっている。新大宮、中央大宮、そんな訳にもいかない。そこで仕方なく地域名をつけて土呂。しかし、私にはこの土呂の方が地域に根ざした東大宮よりも歴史有る駅に感じられる。
白岡と久喜の間に出来たのが新白岡。現在駅付近は単なる造成地。野牛でも良かったのでは。
久喜、栗橋間に出来たのが桜田ではなく東鷲宮。鷲宮はすでに東武鉄道に取られてしまっていたので。
そしてきわめつけが、さいたま新都心。う~む。
先にも書いたように地域に力があれば名前は自然と全国区となる。だからはっきり言って名前はさいたま新都心でも亜莉奈でも何でも良い。繁栄して100年もすれば多少の変化はしても定着する。その先の将来を見とおしての命名と有れば文句は無いのだが、さいたま新都心が繁栄した時には「タマシン」が良いところであろう。それがいやならはなから短縮されない3文字以下の駅名にする事だ。
この様に駅名から強引にその地域を活性化しようというのと、地元の利害が大きく絡んでいるのが顕著なのが新幹線の駅だ。
一番最初のそれは岐阜羽島であろうが、問題が大きく取り上げられた初めのものは那須塩原かも知れない。何しろ試運転列車が走り出した段階になっても駅名が決まっていなかったのである。
その後も上毛高原や安中榛名等の名ばかりの駅が出来た。
もちろん新○○は新幹線の十八番である。
この様な地域とは余り関係無い名前や、○○とありながらちっとも○○らしくないところを通っているところが新幹線は味気ないと言われる所以でもあろう。
東海道新幹線は開業してすでに40年。開業時に多少変だと思われてもちゃんとした名前を付けていれば今ごろは十分に慣れ親しまれた物になっていたに違いない。いや、いっその事新横浜駅などは横浜駅としてしまい、旧横浜駅は別の名前を付けてしまっても良かったのではないだろうか。横浜という駅は過去に何回もその場所を変えており、初代横浜駅は現在桜木町駅として立派にその名をとどろかせているのだから。
かつて駅名変更はいかにもお役所仕事という感じで、力関係の大きいところは簡単に行われたが、そうでないところはどんなに市民の声が大きくなってもなかなかウンとは言ってくれなかった。
磐越西線に磐梯熱海という駅がある。この駅は開業時は熱海であったが、東海道本線の熱海駅が開業となるとあっさり熱海を譲って磐梯熱海になってしまった。逆に旭川駅は長年「あさひがわ」か「あさひかわ」かでもめていたが1988年にやっと「あさひかわ」で決着がついた。たかが「゛」を取るだけなのにである。この場合は国と道で呼び方が違っていた為という背景もあるのだが。
国鉄がJRになってからは地域の声を簡単に受け入れてくれるのか駅名改称が多くなった。ただしそれは良い方向ではなくどうにもその地域のどろどろが見え隠れしている様であまり好きになれない事象である。
中央本線勝沼駅。言わずと知れたぶどうの産地である。ところがわざわざ勝沼ぶどう郷と改称されてしまった。もう勝沼はぶどうで勝負できなくなってしまったのだろうか。
山陽本線小郡駅。新幹線の駅としてもがんばっていてせっかくその名で山口、津和野、萩方面への乗換駅としてなじまれていたのにここへ来て新山口。
××温泉と温泉をつけてしまう駅も多い。でも本当に温泉が有名なところはそんな事はしない。熱海は熱海温泉にならないし、別府も別府温泉にはならないのである。
またやたらと形容詞を付けてしまった駅や観光施設の手先の様に改称してしまった駅も多い。
南阿蘇鉄道の「みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん」。この駅名をちゃんと言える人は少ないであろう。いや、ちゃんと言っているのは案内放送のテープだけかも知れない。
会津線「舟子」。仮乗降場ではあったが、こじんまりとしてとても好きな駅であった。しかし、現在では「大川ダム公園」。つまらん。
今とても気に入っているのが信越本線の「土底浜」駅。
駅そのものは何の変哲も無い小さな駅ではあるが、その地の雰囲気がひしひしと伝わってくるその名の響きがとても好きだ。
「はまなすとうのはなの大潟海岸」駅などと改称されない事を願うばかりである。
--第25号(平成17年8月6日)--
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